(大人としての「信用」は、どうしたら出てくるか)
結局、実績相応に「判断権」や「責任能力」は出てくるので、そのあたりは客観的に自己認識をしておいたほうがいいし、他人に対してもそういう目で見たほうがいいでしょう。つまり、「この人に、この仕事を任せていいかどうか」というようなところです。
会社の中枢(ちゅうすう)部のほうから、「彼がいるところで何か会社に危険が及ぶようなことがあったら、必ず言ってくるだろう」というように信用があるかどうかということです。「信用」というものは外側に出てくるところがあるので、なるべくそういうように自分をつくっていかなければいけないと思います。
ある人に言われたことがあります。「あなただったら、東京からタクシーに乗って『名古屋までお願いします』と言っても、たぶん走ってくれるだろう」などと言われました。タクシー運転手からみても信用されると言ってくださったのだと思いました。
余談ですが、昔、ある新幹線が、車掌(しゃしょう)が外のトイレに行っている間に発車してしまい、乗り損(そこ)ねた車掌はタクシーを拾って名古屋まで追いかけたということがあったそうです。
もちろん、新幹線のほうが速いので追いつけるわけもありませんが、名古屋までタクシーで追いかけた車掌の話が新聞記事に載(の)っていて、「追いつけないのは計算上分かっていることなのに、それでも追いかけたというのは健気(けなげ)である」といった批評が、一部出ていたと思います。
新幹線は一分ぐらいしか停まらないので、何かの隙(すき)に乗り遅れてしまうこともあったのでしょう。やはり、車掌としても、居ても立ってもいられなかったのだと思います。本来、自分が乗っていなければならない新幹線に乗れなかったため、「少しでも、一歩でも近くに寄りたい」という気持ちに駆(か)られてのことだったのは、分からないこともありません。
賞罰(しょうばつ)がどうなったのかは分かりませんが、タクシーに乗って追いかけた分だけ、少しぐらいは斟酌(しんしゃく)してもらえたのではないかという気がします。
こういったものは難しいところでしょう。ミスはしたものの、律儀(りちぎ)であったところは、多少の“かわいげ”がなくもないと思います。
---owari---
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