(何事においても「真剣勝負」の気持ちを持つ)
アイデアを出すに当たって、熱意は大事ですが、熱意という言葉だけではまだ不十分であり、さらに言うならば、「真剣勝負の気持ちを持たなければいけない」ということです。仕事のみならず、何事においても、「人生は真剣勝負だ」と思わなければいけません。
真剣勝負とは、本来、刀で命の取り合いをすることであり、負けたら今世の人生は終わりになります。そう思えば、やはり、考えうるかぎりのことを考えるはずです。鍛錬(たんれん)もするでしょうし、いろいろな作戦も考えに考えるでしょう。「負けたら、人生はそれで終わり」ということであれば、必死になります。
真剣勝負という言葉で思い浮かぶのは宮本武蔵です。現代では野球選手のイチローが「宮本武蔵のようだ」などと言われていますが、雰囲気(ふんいき)は少し似ているかもしれません。目的実現のために、徹底的に自己を鍛錬しながら、結果を出そうと努力するところは似ています。
宮本武蔵をアイデアという面から見ると、やはり、見るべきものが幾つかあります。
宮本武蔵は、「生涯に六十数回の試合をして、一度も負けたことがない」と言われています。「六十数回も命のやり取りをして、一度も負けない」というのは大変なことです。
彼は、槍(やり)の名人や鎖鎌(くさりがま)の名人など、容易ではない相手と数多く戦っていますが、そのつど、新たな兵法(へいほう)を編(あ)み出さなければならなかっただろうと思います。
(宮本武蔵が「吉岡道場との戦い」で用いた兵法)
宮本武蔵には、さまざまな伝説などがありますが、それによれば、彼は、京都の吉岡道場という名門道場を敵に回して戦い、吉岡兄弟を倒しています。
吉岡兄弟の兄と戦ったときには、武蔵は木刀を持って現れました。相手は剣豪(けんごう)であり、真剣で臨(のぞ)んできたのに、武蔵のほうは木刀だったので、相手は面食らってしまいました。それで、相手が戸惑(とまど)っている間に勝負をつけてしまったのです。
まさか木刀で来るとは思わないので、「稽古(けいこ)でもないのに、どうしたのだろう」と考え、相手は一瞬、迷います。武蔵は、その一瞬の隙(すき)を突いて、相手の肩をパシーッと打ち砕(くだ)いているのです。肩を打ち砕かれたら、もう戦えないので、それで試合は終わってしまったわけです。
次に、弟のほうと三十三間堂で戦ったときには、武蔵は真剣で戦って相手を斬(き)り伏せています。
京都一の名門道場であった吉岡道場は、このままでは面子(めんつ)が立たないので、「弟子が総がかりで武蔵を倒そう」ということになり、兄のほうの子供を総大将に立てて、一乗寺下り松で対決することになりました。
そのときに武蔵は「六十数人対一人」で戦っています。これは、一般的に見て、勝てる可能性はほとんどゼロに近い戦いですが、武蔵は兵法を使って戦いました。
吉岡道場の門弟たちは、「武蔵は、たぶん遅れてくるだろう」と読んでいたのですが、「武蔵は夜明け前に行き、隠(かく)れて待っていた」とされています。これは一種の奇襲(きしゅう)戦法です。
そして、不意に現れて敵の総大将に当たる人を倒したあとは、逃げの一手でした。
また、囲まれたら負けるので、常に、「細い畦道(あぜみち)を逃げながら、必ず一人を相手にする」という方法で戦いました。細い畦道であれば囲まれることはなく、相手が必ず一人になるので、「一人ずつ倒しながら逃げていく」というやり方で、彼は逃げ延びています。
---owari---
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