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石田三成は優秀な家臣を養うためには金を惜しまなかった

2023年10月01日 | 歴史
④今回のシリーズは、石田三成についてお伝えします。
三成は巨大な豊臣政権の実務を一手に担う、才気あふれる知的な武将です。
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この話に秀吉も大いに驚き、三成の思いきった提案と手腕を称賛したという。
三成は、冷静で合理的な男である。
破格の高給で左近を召し抱えたのにも、もちろん確固たる理由と裏づけがあった。

「客観的にみで、自分は秀吉さまの家臣の中でもトップクラスの閣僚ではあるが、それはあくまでも事務方としでの能力だ。武将としでは実戦経験も乏しく、その部分を補強する必要がある。であれば、自分に足りない能力を補ってあまりあるような、優秀な参謀役を雇うべきだ」
と考えでいた。

三成にはふだんから、金の使い方についても、
「主人からいただく給与は、己のために貯め込むのではなく、主人のために全部使い果たさなければならない。それこそが、家臣たる者の果たすべき役目なのだ」
という徹底した哲学があった。

だから三成は、優秀な家臣を養うためには金を惜しまなかった。
百戦錬磨の猛者・島左近は、そういった意味でも、三成にとって非常に理想的な家臣だったのである。

三成は、自らの信じるものに忠実で、徹頭徹尾、その信念を貫こうとした男だった。
左近に並び、“三成に過ぎたるもの”のひとつとうたわれた佐和山城も、関ケ原の戦い後、財宝目当てに徳川方大名たちが城内を漁ったが、かつて五奉行だった人物の居城とは思えぬほど質素なもので、ついに金目のものは何も出でこなかったという。

(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)

---owari---
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