⑤今回のシリーズは、石田三成についてお伝えします。
三成は巨大な豊臣政権の実務を一手に担う、才気あふれる知的な武将です。
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この朝鮮出兵で石出三成が担当した仕事は、
・基地としての名護屋城の築造
・渡鮮する大名軍の渡海業務(そのために、彼は秀吉から命ぜられた十二名の船奉行の筆頭を務めた)
・諸武士、武器弾薬などの調達
・在鮮軍の監督奉行(これは、大谷吉継、増田長盛と連名で命ぜられた)
・京城で諸将を招集し、今後の軍略の評議
・明の講和使節との交渉
などであった。
しかし、文官である彼は、武官連中と意見が合わず、現地ではしばしばトラブルを起こした。特に豊臣系の大名たちの恨みを買った。豊臣系の大名たちは、
「石田三成は、ろくに戦争のことを知らないくせに、われわれにいちいち文句をつけたり、あるいはわれわれが行った業績を故意に歪めて、太閤殿下に報告した」
特に加藤清正は、
「立てた手柄を全く無視し、蔚山(ウルサン)の苦戦を誇大に報告し、いかにも自分が怠け者であり、作戦下手であったと報告した」
と怒った。これに福鳥正則や黒田長政、あるいは細川忠興などが加わって、
「反石田三成連合」
をつくった。
この朝鮮戦線における意見の相違は、結局は開ケ原合戦の特に、これら豊臣系の大名たちが、すべて徳川家康に味方する遠因になる。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
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