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北政所は体裁をとりつくろわない比類なき才媛(さいえん)

2024年05月25日 | 歴史
⑱今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。
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秀吉は「一の人」と呼ばれる貴人となったのちも、侍臣(じしん)にはかつて信長の草履(ぞうり)取りであった頃の苦心の数々を、隠すことなくあからさまに語って聞かせた。
彼は裡(り:衣のうら)に破れ帽子のいでたちで、雨が降れば頭にさんだわらをくくりつけ、空腹をかかえ幾里もの山里を越えていった記憶を、脳裡に鮮明に残しており、旧時をなつかしむかのようであった。

北政所も同様であった。
なみの女性であればあまたの侍女にかしずかれるようになれば、昔の家計をやりくりし、夜なべの内職にはげんだことなど、ロにしたがらない。
だが彼女は秀吉と同様にまったく体裁をとりつくろわなかった。

そうするのは非凡だからである。
北政所は夫と同様に、物事の核心を把(つか)む能力をそなえていた。
人を評価するのに、富、出自などを重んじることはなく、その才能を率直に判断する。

侍女たちは、北政所が比類ない才媛(さいえん)であることを知っていた。
彼女が糟糠(そうこう)の妻として秀吉を扶け、天下人の座につかせた経緯を、前田利家のような長い交誼(こうぎ:心が通い合った交際)をかさねた武将たちは見聞してきたので、秀吉が妻に一目を置くのを当然としていた。

秀吉夫妻は、大勢の侍臣が控えている遊宴乱舞の席において、天下の大事を語るのをはばからない。
諸大名への仕置き、国郡(くにこおり:国と郡)の興廃などについて、北政所は秀吉と対等に議論する。
たがいに明敏で、物事の核心をつき話しあうので、熱中すると夫婦喧嘩をはじめたかのように口調がはげしくなった。

あるとき乱舞の席で、夫婦の議論の声がたかまり、喧嘩のようになったことがある。
秀吉は話に熱中していたが、われにかえって能役者に聞く。
「かようの騒ぎをなんと見ようぞ」
太鼓打ちはうろたえたが、とっさに返答した。
「夫婦の御いさかいが、太鼓の撥(ばち)にあたってござりまする」

笛吹が傍からいう。
「どなたが理やら非やらや」
秀吉夫妻は、それを聞くとともに笑った。

(小説『夢のまた夢』作家・津本陽より抜粋)

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