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前代未聞の聚楽第の工事

2024年05月21日 | 歴史
⑭今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。
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「当時秀吉は自らの権力を天下に誇示するため、大坂城と並行して聚楽第の大工事を強行していた。
聚楽第の工事は、掘、石垣の普請が終った六月頃から、天守、御殿の作事がはじまった。
四国、東国の各方面から巨大な材木がおびただしく取り寄せられ、労働に従事する大工、人足の数は大坂城のそれをはるかにうわまわった。

ルイス・フロイスは工事の様子について、つぎのように記している。
「秀吉はその総監督に甥を任命し、多数の貴人や武将たちに補佐させた。
関白自身も非常に器用で、性来(しょうらい)歩きまわることが好きで、一カ所に長くとどまるのを嫌う性分であったので、毎月気晴らしのために、十五日間を大坂城の工事に立ちあい、残りの十五日間を京都で過ごした。

もしここで強制労働に服している人々の信じがたいばかりの労苦、経費、苦悩などについて述べるなら、尽きることのない長い物語となるだろう。
彼らのおおかたは遠国、僻地(へきち)からきており、多大の経費を自弁(じべん:自分で費用を負担して払うこと)し、工事の責任を負わされていた。
彼らは余裕のない経費のやりくりをするため、あらゆるものを国許(くにもと)から取り寄せるしかなかった。

そのため彼らの仕事場は、大小の刀剣、鉄砲、甲胃(かっちゅう)、鞍(くら)、衣服などで充満しており、彼らはそれを二束三文で売り払って用を足していた。
そうするのは、彼らはたとえ極度の窮乏(きゅうぼう)に陥っても、事情を関白に申し出ることも、彼から援助を求めることも不可能であったからである。

関白が彼ら諸国の武将に、今度の工事で莫大な出費と労働を強制したのは、そのような絶えざる
苛斂誅求(かれんちゅうきゅう:税金や借金などを容赦なく厳しく取り立てること)により、できるかぎり余力をたくわえさせず、謀反(むほん)、叛乱(はんらん)をくわだてる機会も時間も与えないようにするとの意図によるものであった」

フロイスの聚楽第工事の実状についての記述は、なおつつく。
「工事をおこなう武将たちのなかには、すでに出すものは出しつくし、こののちやりくりをする方途もなく、他に経済的援助を求める手段もない者がいた。

彼らのなかには自分と家臣がともに滅びてゆく前途に絶望し、この不安や苦悩から救われる方法は、生命をすてるより他ないと考え、短刀を抜き切腹する者が、かなりいた。
だがそのような悲惨な状態に陥っていた仲間はあまりにも多かったので、人々はそれを見ても別におどろきもしなかった。
むしろ苦悩から逃れる道をよくぞ見出したものとして、それを勇敢で賢明な行為だと賞讃した」

(小説『夢のまた夢』作家・津本陽より抜粋)

---owari---
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