このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

救世の福音(1994年)

2018年12月28日 | 日本

われ、悟りを開きてより、

十年あまりの歳月がすでに過ぎ去り、

この間、わが念いの丈を、

法として、教えてして、

あなた方の前にくり広げてきたが、

救世の力いまだ及ばず、

かくなる遅々たる歩みにおいては、

世界人類の救済は、ままならぬのである。

 

行け。

行きて告げよ。

わが念いを告げよ。

わが救世の福音を告げ知らせよ。

再び、人類に偉大なる愛を説くべく

現われたる者があるということを、

この東の国に再誕したということを、

あなた方は告げなくてはならない。

それが、私と同時代に生きている人間の

さだめであるのだ。

 

よいか、よいか、よいか。

仏地上にあるときに生を得るは、

至難の業であるということを、

あなた方は知らなくてはならない。

仏この地上にありて、

その法、伝えし者のみが、

再び、

仏再誕の時に、再誕の地に、

出会うことができるのだ。

 

今、この時代に、この法が説かれていながら、

それに見向きもせず、

その法を無視し、愚弄したる者は、

二度と再び、

わが再誕の時に、わが再誕の地に、

生れあわせることはできないであろう。

あなた方は、

大いなる福音を見逃したのだ。

そして、大いなる使命を果たさなかったのだ。

 

よいか、よいか、よいか、よいか。

万が一にも、

この光の道を妨ぐる闇となるな。

法種を断つ罪は人類最高の罪であるということを

忘れてはならぬ。

わが播く法の種を、それを虚しくしたる者よ。

あなた方は二度と

人間として生まれ変わることはできないであろう。

 

わが播く救世の法の種を、

あなた方は、ていねいに拾い、

一つひとつを、ていねいに耕されたる畑に植え、

水をやり、陽を当て、

そして、育てねばならぬのだ。

いま生きている人たちのためにではない。

のちに来る人びとのためにである。

 

現在、生を享けている者の数多くは、

もはや、そう長い生命を、

この地上で長らえることはできないであろう。

それを、私はあらかじめ警告しておく。

それもこれも、

わが教えし法を蔑ろにしつづけてきた、

あなた方の罪であるのだ。

 

われは、あなた方の罪を指摘すると同時に、

救いの法をも説く者である。

われを信ぜよ。

われを信ずる者には、

永遠の大道が開けるであろう。

わが声を信じ、

わが説く法を、福音として宣べ伝えたる者には、

無限の栄光が約束されているのである。

(仏法真理)

 

---owari---

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 救世の地―日本 | トップ | 如来の四法印 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本」カテゴリの最新記事