今日は、「天網恢恢、疎にして漏らさず」というお話です。
最近、この言葉はあまり使われないので、若い人にはピンとこないかも知れませんね。
「恢恢」は難しい漢字ですが、この言葉は中国の思想家の老子が語った格言です。
出典元の『老子』の中に『天網恢恢、疎而不失』とされたものを書き下したものです。
原典は《疏にして失わず》だが、「老子古今本攷正」に、「ある本にあやまって《疏にして漏らさず》とある」と書かれており、悪人は逃げられないという解釈よりも「見られてますよ」と啓発するような解釈の方がなじむので、ふつうはこの《漏らさず》の方が使われています。
まず「天網恢恢、疎にして漏らさず」は「てんもうかいかい そにして もらさず」と読みます。
「天網」とは天が張り巡らした法の網(仏神のルール)です。
「恢恢」とは広大無辺、極めて広いこと。
「疎」とは目が粗いことを指します。
それを踏まえてこの言葉の意味を考えると、
「天が悪人を捕らえるために、張り巡らせた法の網の目は、隙間(すきま)だらけで粗(あら)いように思えるが、広大であり何一つ漏らすことなく捕らえて逃がさない」という意味になります。
ひいては「悪いことをすれば必ず天罰が下る」ということを意味しています。この格言は『老子』、『魏書』が出典元とされ、それぞれ『老子』には「天網恢恢、疎ニシテ失ワズ」、『魏書』には「天網恢恢、疎ニシテ漏ラサズ」と書かれています。
類義語として、「悪事を働けば天罰がくだる」という意味の言葉は他にもあります。
・お天道様はお見通し
・天罰覿面(てんばつてきめん)
・Heaven's vengeance is slow but sure.(天罰はすぐには来ないが、必ず来るものだ)
・Murder will out.(悪事は必ずばれるもの)
国境や文化・宗教を越えて「悪いことをすると天罰が下る」という認識があったことがわかります。いつか罰を与えるという「天」や「神」という価値観、そして実際に罰を下す法律が、「悪いことをしないように」という秩序を生み出していたのです。
老子の教えは『無為自然』にある。つまり赤ん坊のように天真素朴、無欲であれば、世の中には何の問題も起らない。礼楽だの、仁義だの、考悌だの、性理だの、つまらぬ区別を言い立てるから、かえって世も乱れ、人倫もおかしくなる。すべてに無抵抗主義こそ望ましいというのです。
** 礼楽(れいがく):礼儀と心をなごませる音楽
考悌(こうてい):親や兄姉といった年長者に対する崇敬を意味する概念
性理(せいり);1 人の本性と、天の支配する運命(天理)
人倫(じんりん):人として守るべき道徳
老子の提唱したこの考え方は、列子、荘子などによって受けつがれ、いわゆる『老荘の学』と呼ばれるようになり、仏教の無の観念とともに、東洋思想の諦観的な面の形成に大きな役割を果たしています。
この世で行った善悪の記憶は天の通帳(アーカイブレコード)に漏れなく記録されています。
閻魔大王はその人の記録を見て、天界の行く場所を決めていると言われています。結局は自分の行動の結果が天界の行くべき場所を決めているのです。
ただ、納得ができるようにアーカイブレコードが作られているのです。個人の行動を監視するために守護霊や他の人が監視して記録しているわけではありません。
アーカイブレコードの記憶は個人の情報として脳が持っている記憶を吸い上げていると考えています。アーカイブレコードは正しい情報であるために、「天網恢恢、疎にして漏らさず」となっているのです。
---owari---
あたしは、「星になった龍のきば」という絵本を思い出します。
龍たちの争いで天が裂け、それを勇者と姫が縫い止める…
そして世界は再び平和を取り戻すのです。
「天網恢恢、疎にして漏らさず」は俳句でもないのに、俳句以上の響きを私たちに与えているように感じます。それは真実を突いた言葉だからでしょうか。
「星になった龍のきば」の絵本のお話を教えていただき、有難うございました。
スケールの大きな物語ですね。夜空の星の天の川にまつわる壮大な中国民話は、ギリシャ神話などとはひと味ちがった、すばらしい星空の伝説ですね。
私には3歳になる初孫(男)がいますが、小学生になったら、この絵本を読み聞かせてやりたいと思います。有難うございました。