このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

仏陀再誕

2021年07月01日 | 日本
本編は仏陀の言霊(ことだま)でつづられたものである。
恐るべき内容である。いまだかつて、かくのごとき激しく、かくのごとき力強く、かくのごとく深遠なるものはない。

仏典さながらの、仏陀の獅子吼(ししく)があり、また、人類史上空前の悟りが展開されている。
激し過ぎると評する方もいるであろう。難解すぎると嘆く人もいるであろう。もとより承知の上である。

本来、直弟子以外に語ってはならぬことを読者の皆様に供することとした。
永遠の神理は、永遠に伝えられねばならないからである。(1992年)

―――――――
さあ、霊界にすでに起きているところうの
そのような出来事が、いかなる結果として、
この三次元の世界に
いかなる時に、いかなるかたちをとって現われてくるかは、
私はむしろ、知りたくもない、
見たくもない、
聞きたくもないというのが真実である。
私の意識はその一点から常に外れている。
知りたくないのである。
見たくないのである。
聞きたくないのである。
けれども信じたい、
これが、新しい文明の産みの苦しみであることを。
陣痛(じんつう)であることを。
勝利のための苦しみの声であり、
悲しみの声であることを。

願わくば、
その危機の時代に苦悩する人の数を減らしたい。
彼らの多くに、
「それは霊的世界には起きたが、この地上には起きずに止まったよ」と、
言ってあげたい。
しかし、それをすべて実現することは、
おそらくは難しいことであろう。
あるものは起き、あるものは起きない、
そのような事態となるであろう。
そして、まさしくその現在進行形のなかに、
私たちの活動もあるということを、言っておかなければならない。

この地球に
さまざまなる天変地異や人災が起きてくるのは、
決して特定の誰かがそうしたいからではない。
私たち一人ひとりにも、
己れの思いと行いによって運命が展開するように、
五十四億にのぼる人類も、
その共通の想念の集積によって現在と未来の運命が創られる。
それゆえに、
二十世紀までに全人類が溜(た)めつづけてきた
その想念の集積は、
わずか数年の、あるいは十年、二十年の間では
いかんともしがたいものがある。
自らがつくってきた想念の集積によって、
自らの運命を招き寄せ、それを享受(きょうじゅ)するならば、
それもまた致し方ないことでもあろう。

しかし私は、たとえその危機を
百パーセント回避することができないにしても、
何ゆえにそのようなことが起きるかということを
言っておきたいのである。
人びとがこの地に、地上に生きている間に、
そうしなければ、彼らの多くは、
永らく闇(やみ)の淵(ふち)のなかに沈(しず)むことになるからである。

この地上にはさまざまなる罪があるが、
最大の罪は、
神理を知らないという罪である。
神理は、いつの時代にも伝わっているのに、
神理を理解できる人は、稀(まれ)である。
その理解できる程度に応じて、人びとはその運命を創る。
国としての運命を、全地球の運命を創る。
それは原因結果の法則であって、
この宇宙ができたときより決まってはいるものである。
されど、その原因結果の連鎖を当然として傍観(ぼうかん)するにしのびなく、
私は今、地上に出てきたのである。
見ていることができないから、
「それが法則であるから」と、
「あなた方はその運命を甘受(かんじゅ)せよ」と、
見捨てることができないから、
今、この地に、
このちっぽけな日本の地に生まれたのである。

霊天上界(れいてんじょうかい)から見れば、地球など小さな塊(かたまり)である。
日本などはそのなかの一点である。
この小さな一点のような小さな小島に
肉体を持って生まれ落ち、
そしてその声で、その言葉で、
五十四億の人に神理を知らしめねばならぬという
この重荷を、この辛さを、
あなた方はわかるか。
わからないであろう。
しかし、やらねばならぬことであるならば、
己れ自身で決めたことであるならば、
あえてその役目をまっとうせんとして出てきたのである。

---owari---
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