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石田梅岩~「誠実・勤勉・正直」日本的経営の始祖(前編)

2020年04月04日 | 日本
(「それは日本の企業に学んだものです」)
平成11(1999)年、アメリカの企業倫理協議会の専務理事であるデビッド・スミス氏が来日し、講演でこう述べた。

「アメリカのエシックス(倫理)・マネジメントに変化の兆しが見えます。いままでアメリカの企業は、不祥事を防止することに主眼をおいてきました。そのため法令の遵守とか企業行動基準を守ること、すなわちコンプライアンスに力点をおいてきました。しかしそれだけでは、これ以上進まなくなっていると感じています。これからは従業員の価値観に訴え、価値観の共有に基づいたマネジメントを進めねばならないのではないかという意見が強くなってきています」。

産能大学客員教授・平田雅彦氏は、この意見は自分が学生に強調していたこととまったく一致していると思い、「その変化はいつごろ出てきたものですか」と聞いた。するとスミス氏は平田氏の方に向いて、深々と日本流のお辞儀をして言った。

「それは日本の企業に学んだものです」
「アメリカは1980年代、日本の企業の品質管理を勉強しました。日本の工場に行って、作業現場を見学しました。作業現場で働いている人たちが、グループになって、品質管理を進めていました。その人たちは強制されたものではありませんでした。それぞれが品質の価値観に目ざめ、経営側と価値観を共有して自発的に仕事を進めていました。レベルの高い品質管理をするためには、アメリカもそこからスタートしなければならないことを勉強しました。それがきっかけです」。

(日本的経営のルーツ)
デビッド・スミス氏が指摘したように、日本的経営の特徴の一つに「誠実・勤勉・正直」という価値観を現場で働く従業員まで共有する、という点がある。このルーツを、今から300年近く前の江戸時代中期、享保14(1729)年の京都に求める事ができる。車屋町通御池上る東側の自宅で、石田梅岩が44歳にして講席を開いた時である。

梅岩は11歳の頃から丁稚奉公を始め、京都の呉服屋の番頭格にまで出世した。懸命に仕事に励み、しかも、いつも神道や儒教・仏教の本を懐に入れて、暇を見ては勉強し、また朝は誰よりも早起きし、夜は家人が寝静まった後に書物に向かう、という日々を送った。

商家での実体験と、神道などの勉学から、商人としての道を掴んだ梅岩は、これを多くの人に分かち合いたいと志して、呉服屋の奉公を退き、講席を開いたのだった。

聴講料はとらず、望む人は自由に聴講されたし、女性も結構、とのふれこみだったが、初めのうちは出席者は親しい友人がただ一人、などという時もあった。しかし、やがてその評判が京都の商家の間に広まり、聴衆も徐々に増えていった。さらには請われて、大阪まで出張講席にも出るようになった。

(商人に学問を勧めるのは、意味のないこと)
梅岩の講席は、聴衆との問答が中心であったようだ。梅岩の思想をまとめた『都鄙(とひ)問答』でも、田舎から出てきた学者が、京に住む梅岩を訪れて問答をする、という形式になっている。

当時は、貨幣経済が発達して消費社会が広がり、商業が重要な役割を果たす時代になっていた。その一方で、士農工商の階級が固定され、商人たちは社会の最下層と蔑視されていた。そういう風潮の中で、商人たちは、己の生きる道を探していた。

田舎から出てきた学者は、商人あがりの梅岩に、こんな質問をぶつける。
「商人のなかには貪欲な人が多く、日頃からただ私欲に走っている。そんな人々に欲をなくせというのは、猫に鰹節(かつおぶし)の番をせよというのと同じではないのか。彼らに学問を勧めるのは、意味のないことである」。

儒教などを専門に学んだ学者から見れば、商人あがりの梅岩が、多少本をかじったからと言って、講席を開いたりするのは、思い上がりも甚だしいと、反発が強かっただろう。そういう輩との激しい論争が、梅岩の思想を鍛えていった。

(商人の利益は、武士の禄と同じ)
梅岩は、こう答える。
「商人の道を知らない者は、私欲に走って、ついには家までも亡ぼしてしまう。しかし、商人の道を知れば、私欲の心を離れ、仁のこころを持ち、商人道に合った仕事をして繁盛する。それが学問の徳というものである」。

聞き手は納得せずに、さらにつっこむ。「それならば売る商品に利益をとらず、原価で売り渡すように教えているのか」

「商人の利益は、武士の禄(ろく)と同じである。もし商人が利益なしに売買するということがあれば、それは武士が禄なしで仕えるのと同じである。

手先を働かせて細かい物を作る職人に工賃を給わるのは職人の禄である。農業に従事している人に年貢を納めた後の取り分が残るのは、これまた武士の禄にあたるものだ。商人の禄も天下からお許しを得た禄である」。

士農工商は、それぞれの職業を通じて、社会に貢献をなして、それぞれの禄を得ている。商人の利益も、売買を通じて世のため人のためになっているからこそ、与えられる「禄」であると梅岩は主張する。

商売とは「単なる金儲け」と見下されていた時代に、商業の社会的存在価値を喝破した、革命的な主張であった。これこそ長年、商売に携わってきた梅岩が、自らの体験から生み出した考えであった。

(心は士に劣まじと思ふべし)
学者は、なおも食い下がって「商人が売買で利を得ることは理解できた。しかし、それ以外に社会的に許されないことをやっている商人もいるのではないか」

この点は梅岩も同意して、「世間のありさまを見れば、商人(あきびと)のように見えて盗人(ぬすびと)あり」と言い、たとえば、わずかに短い帯を、製造元には値引かせ、客には、障りにはならないからと、値引かずに売りつけて、利を稼ぐ。これは盗人同様の仕業であるが、学問のない所から、それを恥とも思わずに、ぬけぬけと行う者がいる。「これを能(よ)く能くつつしむは、ただ学問の力なり」とする。

武士が俸禄を賜る主君のために、身命を惜しまず仕えるように、商人は俸給を賜るお得意様のために、惜しみなく誠意を尽くさねばならぬ、「心は士(さむらい)に劣まじと思ふべし」と梅岩は主張した。

たとえば、一貫目かかっていた生活費を7百目でまかない、これまで一貫目いただいていた利益を9百目に減らすように努める。品質に念を入れた商品を、このように安く提供すれば、お得意様も信頼して、ひいきにしてくれる。

我が身を養ってくれるお得意様を粗末にせず、真実の誠をつくせば、十に八つは、お得意様の心にかなうものである。お得意様の心に合うように商売に打ち込み、努めれば、渡世において何の案ずることがあろうか。

近年の経営学では「カストマー・サティスファクション(顧客満足)」が成功への道だとしているが、それを梅岩は3百年近く前に言い出したのである。

---owari---
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