(正直から出た倹約)
ここで最初の問答に戻って、「商人の道を知れば、私欲の心を離れ」の「私欲」とは何か、考えてみよう。梅岩は私欲に関して、こう述べている。
私欲ほど世間を害するものはない。このことを知らずに行う倹約は、ただの物惜しみのための倹約であって、世間に害を与えることが多い。しかし、私が申し上げているのは正直から出た倹約なので、人を助ける倹約である。
たとえば、少しでもお客様に安くて良いものを提供しようと、経費のムダを省いて節約するのは、「正直から出た倹約」である。こういう倹約は、社会全体のプラスとなり、世のため人のためになる。
それに対して、自分さえ儲ければよいと、仕入れ先への値切りばかりやっているのは、「私欲から出た吝嗇(ケチ)」である。これは自分が得した分だけ、仕入れ先に損をさせるので、社会全体としては何のプラスにもならない。それどころか、損をさせられた仕入れ先は、他の顧客から損を取り戻そうと、また私欲に走った商売をするかもしれない。私欲が私欲を呼び、社会全体に恨みや妬みがはびこることになる。
倹約を申し上げるのは、ほかでもない。生来人間が持っている正直の心に返したいからである。このような正直が行われるならば、世間の人たち全体が仲良くなり、世界中の人々がみんな兄弟のようになるだろう。私の願うところは、世の人々がこのような社会を創り上げることである。
冒頭に出てきた「コンプライアンス(法令遵守)」も、単に企業が法を犯さないというだけでは、つまらない。梅岩が言うように、「企業が私欲を離れて、お客様のために誠実に事業に取り組むことが、社会全体を立派にするのに役立つのだ」という価値観を従業員に植えつけたら、それは一人ひとりの心から志のエネルギーを引き出すだろう。
ゼネラル・エレクトリックの元会長ジャック・ウェルチは、企業の行動指針に「Integrity (誠実)」を置き、松下電器の中村会長は平成14(2002)年に「スーパー正直会社」になると内外に宣言した。正直さ、誠実さが、企業の活力の源泉であることは、現代経営の常識になりつつある。
(身持ちの悪い主人は隠居させよ)
このように、梅岩は商売を公に奉ずるための道と考えていたので、逆に私欲におぼれる事は、厳しく戒めた。
主人たる者がわがままであったり、また酒色にふけり、素行がおさまらないようなことがあったら、手代の人たちみんなで、よく意見をいってきかせ、改めさせるようにする事。万一それでも改めることなく、家の相続の妨げになるような恐れがあれば、それはお先祖様に対する大不忠者なので、手代すべてが相寄って相談の上、隠居をさせ、僅かなあてがい扶持の所帯にする事。
主人が家業を自分の財産なのだから、それをどう使おうと自分の勝手ではないか、とするのは、私欲から来る考え違いである。
家業は、従業員たちがそれを通じて、世のため人のために働くための社会の公器であると同時に、ご先祖から受け継ぎ、子孫に引き継いでいくべき世代を超えた共有財産でもある。特に、従業員の忠誠、お得意先や仕入れ先との信頼関係、世間の評判などは、築くのに何年もかかるのであって、代々の主人と従業員が、大切に守り育てて、次代に引き継がなければならない。
この事を弁(わきま)えずに、放蕩のあげくに家業をつぶしかねない主人は「お先祖様に対する大不忠者」であり、手代どもが忠告しても聞かなかったら、隠居をさせて、新しい主人を立てるべきだという。これは武士道においても、身持ちの悪い藩主を家来たちが隠居させたりするのと、同じである。
現在でもアメリカでは、いまだ会社は株主の私有財産という考えが強く、マネーゲームのカードとして、株価によって会社を売り飛ばしたり、敵対的買収をしたりする事が少なくない。しかし最近のCSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)の考え方では、従業員、得意先、仕入れ先、地域社会などをステーク・ホルダー(利害関係者)として大切にする、という考え方が強まってきている。企業は公器である、という梅岩の考えに、ようやく追いついてきているのである。
(心を知りて身を苦労し勉むれば、日々に安楽に至る)
こうした梅岩の考え方は、当時の商人たちの心に響くものであった。特に士農工商の中で最低の階級として見下されていた商人たちにとって、商売とは武士の奉公と同様、公に奉ずる仕事であるという考え方は、彼らに生きる意味を与えたのだろう。
我が教ゆる所は心を知りて、身を苦労し勉むれば、日々に安楽に至ることを知らしむ。
(私が教えるのは、まず人の道を心に自得した上で、骨身を惜しまず、勤勉に自己の仕事を実践すれば、日々に心の安心に近づく、ということです。)
人の心は天につながっているので、私欲に駆られて人を騙したり、放蕩の限りを尽くして家業を傾けたりしたら、心の奥底の良心が疼(うず)く。勤勉・誠実・正直に働いていてこそ、心も安心に満たされる。同時に事業は繁盛し、周囲からも感謝される。それが輪となって広がれば、立派な社会が築ける。このように人間の心を原点として経営を考えた所から、梅岩の教えは「心学」と呼ばれた。
梅岩の『都鄙問答』は、江戸時代に10回、明治以降も14回も出版されるロングセラーとなった。弟子たちは全国を行脚して心学の普及に努め、最盛期の天保年間(1830年代)には、全国34藩、180カ所に講舎が作られた。心学は武士の間にも広まり、寛政の改革に参画した15名の大名のうち、8名が心学を修行していたという。
こうした心学の広まりは、日本人の仕事観、事業観に大きな影響を与えた。現代の日本人も「石田梅岩」や「心学」は知らなくとも、ここで紹介した考え方は「常識」としてごく自然に受け入れられる人が多いだろう。これがどれほど大変な事なのかは、騙し合いが当然の中国などで仕事をした経験のある人は、よく分かる。
日本企業の強みは「勤勉・誠実・正直」を尊ぶ日本的経営にある。それを知った欧米企業は、この点で急速にキャッチアップしつつある。日本経済が繁栄を続けるためには、この「勤勉・誠実・正直」でさらに先をいくしかない。そしてそれは経済的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさへの道でもある。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)
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