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可視化できないものに対する敬意

2020年05月07日 | 日本
今日は日下公人著書「『超先進国』日本が世界を導く」より転載します。
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近代がまだ続くかのように見えるのは、これから近代化しようとする後続グループがあり、その先頭にいまもアメリカがいて、その後を中国が追いかけているからである。しかし、歴史の大きな流れを見れば二百五十年続いた近代化の行き詰まりははっきりしている。少なくとも先行した約三十カ国の間で終わりを告げている。

産業革命以来、「人類は永遠に進歩する」というのが近代をつくった精神だが、その結果に対する懐疑が1970年頃からいわれるようになったポスト・モダン(「脱近代」)の考えである。近代以前の中世における西欧では、「永遠」や「真理」や「進歩」は神の御手にあるもので人間が覗き見てはならないと考えたが、逆に近代においては、すべては人間の理性や知性で進行すると考えた。この大きな揺れは、まだ彼らの世界で続いている。

ところが日本は、神より人間を考えるという思想革命は二千年前か一千年前に経験済みのことで、庶民にはそれが浸透しているから、「近代から脱近代へ」といっても懐疑や動揺はない。日本は「独立」のために近代主義を採り入れ、「殖産興業」「富国強兵」をしただけである。

そもそも日本人には「暗黙知」がある。ただ明治以後に出現した日本のインテリには暗黙知が薄く、「進歩は善である」「合理化が進歩である」という西欧近代主義への信奉が根強く続いた。そして大東亜戦争の敗戦による「戦後派」はさらにそれが強くなった。

だが、世界における「近代」の行き詰まり現象は随所に出ている。むしろ西欧のほうが「何が進歩か」「進歩の結果はどうなるのか」「近代化の結果、人間はどう暮らせばいいのか」等々に対する答えが西欧的な理性や知性では得られないことに気づきはじめている。

彼らにとって不可思議なのは、有色人種で非キリスト教徒の日本が、彼らの侵略に屈せず、いつの間にか世界の先頭に立って平和的な国家を建設し、経済でも成功し、最高水準の文明と文化をつくったことである。そこで西欧の一部の人間は日本を見て、近代化には西欧白人社会が辿ったのとは別の道があるのではないかと考えはじめた。

いうならば進化のコースの複線化で、この考えに立てば、単純に「白人の先進国―有色人種の発展途上国」という一直線上の位置づけは当てはまらない。また世界は一つの価値観やルールに収斂(しゅうれん)されていくという「グローバル化時代の到来」という見方も現実に反することになる。

いずれもそうあって当然のことで、そこには何の不思議もないが、西欧近代の絶対を信じる人とその礼賛者にはそれが見えない。日本人は自らの「暗黙知」によって近代化を理解し、自らの柄に合う近代化を考えることで、ごく短期間に、先行する国々に追いつき、追い越すことができた。

ポスト・モダンの模索などを庶民がさして意識しないのは、帝国主義の時代を生き残るために必要だった近代化を遂げた次のステージに必要なものが自然にわかるからである。

それは、再び「暗黙知」を日本人の価値として自明のものとし、西欧近代が追及した計量化、数値化、可視化できないものに対する敬意や関心を持ち続けることである。その意味で「脱近代」の新しいビジョンは日本の歴史の蓄積のなかにある。

---owari---
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