脱近代の時代をリードするのは日本である、という前提から日本国家の根本を考えなければならない。今後「災後派=戦前派」の最大テーマはこれである。
経済も人間生活も「量の充実」から「質の充実」に変わったと考えれば、従来の経済指標に右往左往する必要がないことがわかる。モノで計る経済は終わったと考えれば、従来の意味での景気回復はしなくともよい。日本はいまや世界にとって次のステージを開く地点に立っているのである。
次のステージとは何か。その前に1970年代以降、世界的に起こったことを確認しておく。簡潔に列挙すれば次のようになる。
・静止人口と静止経済(低金利と低成長)
・国家と国民の解消(国際化、グローバル化)
・経済より精神へ(量より質、発展より安定、科学進歩より人間的価値観の再建、幸福の普及)
・エコロジーの大合唱
・新興国の台頭
それから“青天井”の利己主義(強欲=グリード)がある。以上を一過性のものと構造的なものとに分けて考えてみることが必要だが、現実には相互に絡み合って進行している。その相互の関係性がいかなるものかを近代はアナリシス(分析、解析)に頼ってきたが、それは人間社会の価値観を数値化、数量化、可視化できるものに傾斜させ、数値化、数量化、可視化に馴染まない「サムシング・グレート(何か偉大なもの)」の存在を人間にわからなくさせた。アナリシスの限界というものを近代は考えてこなかったのである。
---owari---
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