あなたがたの数多くは、仏国土建設という理想に燃えているはずだ。
その仏国土建設の理想は、
決してこの世的なる、外面的なる仏国土ではない。
この仏国土が仏国土であるという理由は、
仏のよしとされる国土であるということ、
仏の理想とされる世界であるということなのだ。
それが、ほんとうの仏国土の条件であるということなのだ。
しからば、仏のよしとされる社会を創ってゆくためには、どうせねばならぬか。
信仰が根本であることは間違いない。
すなわち、この日本という国に、もし仏国土を創らんとするならば、
すべからく、日本国民は信仰心に目覚めなければならない。
また、この仏国土を日本以外の地域に広めたいと思うならば、
東南アジアにも、韓国、中国、アメリカ、ヨーロッパ、インド、
さまざまな国に、さまざまな地域に、仏国土を創りたいと願うならば、
その国にて、
信仰心というものを、しっかり土台としてつくらなければならない。
およそ、信仰なくばすべてのものは不毛である。
信仰心があって教育を受けて、はじめて教養というものはできてくる。
もし、信仰心の基礎なくば、いくら学問的詰め込みをしても、
真の教養は生まれない。
それらは、偽物の教養である。
それらは、せいぜい科学的知識、
あるいは仏を否定するような唯物的知識の集積であって、
ほんとうの教養とは言えない。
真の教養は、信仰の土台があって、はじめて成り立つものなのだ。
そして、信仰の土台があって、はじめて真の教養が成り立ち、
真の教養人が地に溢れて、
そこに平和な世界が展開してくるのだ。
諸人よ、
これはいつの時代においても間違いのない真理であるのだ。
まず、あなたがたが仏国土を創ろうとするならば、
その国を、その地域を、素晴らしい人たちで満たさねばならない。
その地域に満ちるべき素晴らしい人たちとは、
まず信仰の土台がある人たちのことである。
仏を信じない人が、いくら増えたところで、
そのような国が仏国土になろうはずもない。
まず、仏を信ずる人を、
正しい信仰を持つ人を養成しなければならない。
また、子供たちには、当然のことながら、
両親から信仰心というものを教えてやらねばならない。
これが、親としての最大の義務であるのだ。
これが、親としての最大の教育であるのだ。
私は、そう思う。
親として生まれて、もしもこの教育を怠ったならば、
いったいほかにいかなる重要な教育があるというのだろうか。
そんな教育はありはしない。
それは、親としてはまったくの怠慢としか言いようがないのだ。
世の父親よ、世の母親よ、
子弟の教育としていかなるものが必要であるか、
と問う方は多いであろう。
しかし、私は言っておく。
信仰なくばいかなる教育も不毛であると。
仏を信ずる心なくば、いかなる教育も不毛であると。
それは、何ら作物を実らせない。
何らの実も実らせない。
そうではなくて、世の中に害をまく人間を育てるだけになる。
まず、よき作物を得ようとするならば、土地を耕せ。
土地を耕すことが、大切である。
土地を耕し、そのなかによき種を植えよ。
よき種を植えたならば、また、よく肥料を与えよ。
そして、よく水を与えよ。
さすれば、その作物はすくすくと育ち、たわわに実をつけるであろう。
---owari---
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