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信仰なくば

2019年02月28日 | 人生

あなたがたの数多くは、仏国土建設という理想に燃えているはずだ。

その仏国土建設の理想は、

決してこの世的なる、外面的なる仏国土ではない。

 

この仏国土が仏国土であるという理由は、

仏のよしとされる国土であるということ、

仏の理想とされる世界であるということなのだ。

それが、ほんとうの仏国土の条件であるということなのだ。

 

しからば、仏のよしとされる社会を創ってゆくためには、どうせねばならぬか。

信仰が根本であることは間違いない。

すなわち、この日本という国に、もし仏国土を創らんとするならば、

すべからく、日本国民は信仰心に目覚めなければならない。

 

また、この仏国土を日本以外の地域に広めたいと思うならば、

東南アジアにも、韓国、中国、アメリカ、ヨーロッパ、インド、

さまざまな国に、さまざまな地域に、仏国土を創りたいと願うならば、

その国にて、

信仰心というものを、しっかり土台としてつくらなければならない。

 

およそ、信仰なくばすべてのものは不毛である。

信仰心があって教育を受けて、はじめて教養というものはできてくる。

 

もし、信仰心の基礎なくば、いくら学問的詰め込みをしても、

真の教養は生まれない。

それらは、偽物の教養である。

それらは、せいぜい科学的知識、

あるいは仏を否定するような唯物的知識の集積であって、

ほんとうの教養とは言えない。

 

真の教養は、信仰の土台があって、はじめて成り立つものなのだ。

そして、信仰の土台があって、はじめて真の教養が成り立ち、

真の教養人が地に溢れて、

そこに平和な世界が展開してくるのだ。

 

諸人よ、

これはいつの時代においても間違いのない真理であるのだ。

まず、あなたがたが仏国土を創ろうとするならば、

その国を、その地域を、素晴らしい人たちで満たさねばならない。

 

その地域に満ちるべき素晴らしい人たちとは、

まず信仰の土台がある人たちのことである。

仏を信じない人が、いくら増えたところで、

そのような国が仏国土になろうはずもない。

 

まず、仏を信ずる人を、

正しい信仰を持つ人を養成しなければならない。

また、子供たちには、当然のことながら、

両親から信仰心というものを教えてやらねばならない。

 

これが、親としての最大の義務であるのだ。

これが、親としての最大の教育であるのだ。

私は、そう思う。

 

親として生まれて、もしもこの教育を怠ったならば、

いったいほかにいかなる重要な教育があるというのだろうか。

そんな教育はありはしない。

それは、親としてはまったくの怠慢としか言いようがないのだ。

 

世の父親よ、世の母親よ、

子弟の教育としていかなるものが必要であるか、

と問う方は多いであろう。

しかし、私は言っておく。

信仰なくばいかなる教育も不毛であると。

 

仏を信ずる心なくば、いかなる教育も不毛であると。

それは、何ら作物を実らせない。

何らの実も実らせない。

そうではなくて、世の中に害をまく人間を育てるだけになる。

 

まず、よき作物を得ようとするならば、土地を耕せ。

土地を耕すことが、大切である。

土地を耕し、そのなかによき種を植えよ。

 

よき種を植えたならば、また、よく肥料を与えよ。

そして、よく水を与えよ。

さすれば、その作物はすくすくと育ち、たわわに実をつけるであろう。

 

---owari---

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