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双子として生まれることの意味とは(後編)

2024年12月26日 | 人生
(「たまたま双子で生まれてくる場合」の二通りの生まれ方)
もう一つの場合は、「双子であっても、成熟するにつれて全然性格が違ってくるように見える」「まったく兄と弟が違う。明らかに違う。考え方においても気品においても、どうやら霊格もだいぶ違うように見える」という場合があります。

これはどういうことかというと、妊娠の段階において、通常は精子と卵子の結合は一対一ということになっているのですが、「たまたま、本当にたまたまの兼ね合いで、一緒に、同時になってしまって、どうすることもできなかった」という“生物学的な事情”があることもあります。

この際に、どういうふうな生まれ方をするかというと、これも二通りありまして、一つは、「きょうだいで何人か生まれる予定になっていたのが、どうやら、たまたま二人で生まれるらしい」ということで、慌(あわ)てて年代を変えずに生まれてくるという場合です。

それともう一つは、一人は“正統派”で生まれて、もう一人は、“全然違う”と言うのはちょっと問題があるかもしれませんけれども、「どうしても地上に生まれたくて割り込んでくる」ということがあるのです。

たいていの場合、生まれ変わりにかなりうるさい基準があるのですけれども、“急いでいる魂”というものがあって、「どこかで空きがないか」と探しているんですね。ホテルの予約のようなものですけれども、「空きがないか」と言って探しているのがいて、「空きが一つ出た」というような情報が入ると、「もう、とにかく構わないから出たい」ということで、バーンと割り込んでくることがあります。こういう入り方をすることがあります。

この場合には、成長していくと、双子のきょうだいなのにずいぶん違ってきます。「何でこんなに違うのか」というぐらい、違ってくるようになるのです。顔つきが違ってきて、いろいろなところで、好みとかさまざまなものが違ってくるようになります。もともときょうだいになる予定であった場合は、ちょっと似てきますけれども、全然違う人が入ってきた場合は、そういうふうになります。

(「生まれたくてしかたがない魂」が順番待ちをしている)
このように、霊的に、必然的に、「どうしても契りを結んでもう一回一緒に」という強い念いが現象化してきて双子になる場合と、たまたま生物学的に、例えば一卵性なら双生児になるような卵分割が始まって、そうした機会に乗じて、次の一人をどうするかという問題が出て、縁のあるきょうだいになる人が出てくる場合と、全然違う人がスポンと入ってくる場合とがあるということです。

三つ子とか五つ子とか六つ子とかもありますが、このへんになってくると、もちろん、「きょうだいになる予定だった人が、全部ドサッと出てくる場合」がいちばんポピュラーだと思います。ドサッと出てくる場合です。

それと、「“その他大勢”がどさくさで出てくる場合」があります。「これは幸い」ということで、本当は子供の予定は二人ぐらいしかなかったのに、五人も六人も生まれられるなら、“空き”がありますから、“その他大勢”がどさくさで出てきた場合とがあるのです。

空きを待っている人が多いのです。特に、現代では、「生まれたくてしかたがない魂」がそうとういるんですね。順番待ちがかなり溜まっています。そうとう生まれ変わりたいので溜まっているし、たまたま地上に出てきても中絶されたりして、うまくいかないことも多いものですから、“就職率”といいますか、就職の「買い手市場」とか「売り手市場」とかがありますけれども、どちらかというと“地上の買い手市場”なのです。魂的には、向こう(あの世)のほうで出たい人が多いのです。

こんなことを言うと、「じゃあ、うちはなんで子供ができないのでしょうか」と言う人が出るでしょうけれども、今言ったように“まとめて出るところ”があるから、取られているのかもしれません。

そのようなことが、双子のだいたいの説明です。双子の方がおられる場合は、顔をよく見て、性格を見て、魂をよく見て、どちらかを判定してみてください。

---owari---

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