(現れてきた問題を静かに受け入れよう)
会社の仕事においては、問題を解決する際に、分析的なものの考え方をします。原因を追究し、善悪を分け、分別をつけるなど、いろいろと分析をして、「こうすれば解決する」という判断の仕方をします。これは、会社の仕事ではよくあるやり方でしょう。
確かに、仕事のレベルでは、そのように、いろいろな問題解決のアプローチをしていかなければなりませんが、そうした仕事の世界から一歩離(はな)れた宗教の世界においては、「問題は何らかの意味があって生じている」と考えるべきなのです。
したがって、「即、結論を出してしまおう」と思うのは、やめてください。問題が現れてきているのには理由があるので、その現れてきたものを受け入れていただきたいのです。
例えば、病気をしたときに、病気という現象に対して、個人的に努力し、闘(たたか)うこと自体は構(かま)いません。病気を治すためには、リハビリもあるでしょうし、さまざまな精進もあるでしょう。
ただ、「病気をした」という事実を、争わずに受け入れてください。「自分の人生の途中で、こういう課題が現れてきた」ということを受け入れてください。
夫婦間で騒動(そうどう)が起きても、それを受け入れてください。親子間で問題が起きても、それを受け入れてください。また、父母との間で問題が起きても、それを受け入れてください。
その問題は、あなたに固有の問題ではないかもしれません。ほかの人にも、それぞれ何らかの問題が起きてくるでしょう。
そのときに、「自分の人生の問題集の一つが、今、出てきたのだな」と思い、それを静かに受け入れる心を持ってください。
---owari---
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