(「感謝の気持ち、報恩の気持ち」であるかどうか)
現在の職業というのが変わっていくことはありますが、ある一つの仕事をやっているときには、やはり、一生懸命、全力でやるべきです。
その職業が次の仕事に変わる場合でも、前職で自分がいっぱいいっぱい頑張って努力したことを力にして、次のステップに行けるのならいいけれども、前職の環境とか、あるいは会社の悪口を言ったり、職場の人間の悪口を言ったりして、「そのおかげで自分はうまくいかなかったので独立した」とか、「ほかの会社に移った」とかいうことを言い続ける方は、何度やっても、たぶん、同じようなことを繰り返すことが多いのです。
今、たまたまやっている仕事は、仮の仕事である場合もあります。本来の仕事に取りかかる前の準備期間として与えられている仕事なのかもしれないけれども、そのなかで、自分のやれることを一生懸命、役割を果たしてやっていくこと、これが大事なのではないかと思います。
個人主義といいますか、「個人は自由じゃないか、自分の人生、どう使おうと自分の勝手ではないか」という言い方はあるだろうと思います。それは十分にありえることだと思います。それも人生の目的の一つではありますから。
ただ、そのときに、やはり、「その人が周りに対して感謝の念を持っているかどうか。自分が置かれた環境、あるいは育てられた環境、それから、仕事を一緒にやってくれた人たちに対して、感謝の思いを持っているかどうか」を点検することは大事だと思うのです。
「いろいろと育てていただいてありがたい。教育していただいてありがたい」あるいは、「みんなもこういう仕事を一緒にやってくれてありがたい。未熟な自分ではあったけれども、お世話になった。でも、次はこういう仕事をしたい」というふうな感じの方で、次の仕事のステップに移行しても、前にいた職場や同僚やお世話になった方への感謝の思いを持ってやれるような方の場合は、次の仕事でも成功する可能性は非常に高いと思いますが、ほかの人の悪口を言い、環境を悪く言って、「だから、飛び出してやるんだ」というようなタイプの方は、どこに行っても満足できないで、不平分子として生きていくタイプの方が多いように思います。
だから、一つのポイントですね。「個人主義で何が悪い」という感じのものの考え方をする人の判断の基準の一つとして、やはり、「その人に感謝の気持ち、報恩(ほうおん)の気持ちみたいなものがあるかどうか」というのを見ることが大事なのではないかと思います。
たとえ、人生のうちに短い期間であったとしても、自分が縁(えん)あって一緒に仕事をした人たちや、会社や職場の方々に、何らかの感謝の気持ち、お返しをしたい気持ちみたいなものを持って、次の仕事に臨(のぞ)んでいくようなタイプであれば、だんだんだんだんに、大きくなっていくであろうと思います。
不満なので次々と辞(や)めて転職していくような人の場合は、だんだんだんだん、最初のころよりも、職場環境も悪くなり、自分の待遇(たいぐう)も悪くなって、人生の道筋が見えなくなってくることが多いと思います。
「人のせい、環境のせいにするな」という教えもありますが、やはり、そこで歯を食いしばって努力している人は、みんなが認めてくるものです。
だから、両親がいても片親になる、あるいは会社が潰(つぶ)れるとか、いろいろなことはあると思うのですが、本当に世の中が求めている人は、「十分な環境さえ整えば自分はできたのに、それがなかったからできなかったんだ」というような言い訳をするタイプの人間は、そんなに欲しくはないのです。
「自分がいるところに、自分が働きやすい環境が自然とできてくるんだ」と、「自然と周りが、仕事ができて、一緒にやっていけるようになるんだ」と、そういう気持ちを持った人は、やはり、成功していくだろうと思います。
「個人の自由で何が悪いか」と言う人に対しては、「感謝・報恩の気持ち」があるかどうか。もし、それなくして、それを主張するのならば、わがままだというだけのことです。
わがままな方というのは、一般的に、どこへ行っても嫌(きら)われます。他人の協力を得ることができず、他人(ひと)の人生の一部を食い潰(つぶ)しながら生きていくことになりますので、大成することはなかなか厳しいかなというふうに思います。
---owari---
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