信長は大きく笑った。そして、
「千宗易、考えたな」
と上機嫌になった。利休はほっとした。
実を言えば利休にとって、これは乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負だった。信長が凡庸な権力者であり、にじり口から身を屈めて入らせたことに腹を立てれば、その場で体を反転させ怒って出て行ってしまうだろう。そして、
「あの無礼な宗易を処分せよ」
と、罰を与えるに違いない。
ところが信長はそんなことはしなかった。にじり口から身を屈めて入って来たし、利休の、
「にじり口から入った以上は、あなたも私と同じただの人間だ」
と言われても、腹を立てない。逆に上機嫌になってニコニコ笑っている。千利休は信長の態度に感嘆した。そして、
(こういう武士が、日本にもいたのか)
と一驚した。
あの日、利休が点てた茶を信長はうまそうに喫(の)んだ。もちろん、その頃の信長は作法も何も知らない。差し出された茶碗をムンズと掴(つか)み、ガブリと喫んだ。その豪快な喫み方がひどく利休の気に入った。そういう喫み方もまた、
「市中の山居(さんきょ)(山住まい)」
における、信長らしい喫み方であった。
帰り際に信長は言った。
「茶というのは面白い。俺も習おう。おまえが師匠になれ」
と告げた。利休は平伏し続けた。そして、胸の中に今までになかった、大きな生き甲斐が湧いてきたのを感じた。
(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます