このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

ナポレオンを驚嘆させた「平和国家」琉球

2019年11月30日 | 日本
今日はフランスの作家、オリヴィエ・ジェルマントマの著書「日本待望論」よりお伝えします。
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倫理研究所のはからいで、沖縄にひと飛び。
熱帯の官能性と、「ヤマトンチュウ」の精神との、奇妙な出逢い。女たちの踊るばかりの歩み、あでやかに花開く微笑、ふうわりと体も浮くばかりの大気。かと思うと、さすがはカラテを生み出した土地柄と思わせるばかりの、勇気凛々たるエネルギーも、そこに充満しているのでした。

建築物は、アメリカの悪趣味が見すぼらしい資材と結びついて、むしろ醜悪(しゅうあく)です。抜けるような空の青さを見あげたほうが、賢明でしょう。さもなくば、女たちに見とれるか、那覇(なは)を離れるかしたほうが。自然と、海と、あまたの恵みの世界が、ここから縹緲(ひょうびょう:果てしなく、広々としたさま)と打ち開かれているのです。

斎場御嶽(せーふあーうたき)では強烈な印象を喫しました。琉球王国の滅亡にもかかわらず、その場の魔力は損なわれずに残っているのですから。森の小径も、懸崖(けんがい)も、巨岩のつくる穹窿(きゅうりゅう:半球形またはそれに近い形)も、そこをくぐって出る。

海を見晴らす平石も、何ひとつ観光客によって損なわれたところはありません。沖合には、禁断の久高島。もちろん、西洋人の頭には、すぐギリシアが思い浮かびますけれども、ここでもその名を引き合いにするのは愚かというものでしょう。女人禁制ならぬ男子禁制の、この場に立っていると、そくそくとしてある確信が胸に滲みわたってくるのでした。

世界の神変(じんぺん)不思議は、おのずからにして顕れる。これをこの身に涵養(かんよう:自然にしみこむように、養成すること)するには、赤心(せきしん:嘘いつわりのない、ありのままの心)を保つにしかず、と。

帰国後、沖縄に関する稀覯本(きこうぼん:めったにない珍しい本)をあれこれ繙(ひもと)いていて、興味津々(きょうみしんしん)たる一挿話を発見しました。19世紀のイギリス人、ホール艦長なる人物の語った物語です(沖縄の人々の歴史より)。

それによると、ホールの操舵するライラ号は、アジアへの長い航海を終えてイギリスに戻る途上、セント・ヘレナ島に寄港しました。

折しもこの絶海の孤島には、ワーテルローの戦い(1815年)に破れたナポレオンが幽閉中の身で、ホール艦長は部下の将校たちを従えて、この流刑の皇帝を訪ねました。ナポレオンは一行に航海のことをあれこれ尋ね、ことに沖縄について興味を示しました。

「殿下、アジアには」と、恭(うやうや)しくイギリス人艦長は申しました。「ぜんぜん武器というものを持たない王国が存在しております。しかも、その国の人々は、どんな社会階層の者たちでも礼儀正しく振る舞い、他所人(よそびと)を歓迎するのでございます・・・・・」

こう聞いて、全ヨーロッパを震えあがらせた征服者は、「まさか!」と叫び、最初のうちは信じようとしませんでした。「そのほかに、そこの住民は、いったいどんな風習をしているのじゃ」と彼は根ほり葉ほり尋ね、返事を聞いて、いよいよ興味をつのらせ、しきりと驚きの声を挙げるのでした。

そして、最後には、彼の目からすればこの世で最も信じがたい事柄について、呻(うめ)くようにこう言うのでした。「武器が一つもない、だって? だったら、武器なしで、どうやって戦うのじゃ」

ホールは答えました。
「私が見ますところ、それでも、彼らは、自国においても近隣関係においても平和に暮らしておるのでございます」

「戦争がないだって!」
とナポレオンは怒号しました。それは、まるで、戦争を知らない民族が存在するなどということ自体が、とんでもない非常識と言わんばかりでした。

廃帝は、なおも琉球の住民について、その風俗習慣、農作活動に至るまで事細かに質問しました。すると、イギリス人艦長は、語調を変えて、こう言ったのです。

「しかし・・・・・」
「しかし、なんじゃね?」
「・・・・・その島の者どもは、《琉球人のもてなし》と諺(ことわざ)になったほど客人(まろうど)をもてなすのですが、たった一つ、らしからぬことがございます」

「・・・・・」
「私共金髪の種族がやってくると、自分の女房を隠すのでございます!」

---owari---
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