今回のシリーズは、武田信玄(第2弾)です。
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家康は風雪のなか、闇にまぎれ後退するうち、しばしば危地に立たされた。
信長の甥(おい)・大橋与右衛門は十二月二日に家康への使者として岐阜を出立した。
二十二日の日没後に三方原に到着する。西北の風がはげしく吹きつのり、雪霧交り飛びかい眼もあけられない有様で、東西の見分けもつかない有様であった。
このとき与右衛門の馬が流れ矢に当り倒れた。与右衛門はやむなく徒立ちで合戦の物音のする辺りへむかう。
途中犀ケ崖(さいががけ)の傍に甲冑をつけた武者がひとり立っている。敵かと身構えたが仕懸けてくる様子もないので徳川の侍であろうとその前を通り過ぎかけた。
「待て、そのほうは織田の手の者か」
「いかにもさようじゃ。御辺(ごへん:そなた)はいずれの仁かのん」
与右衛門は足をとめ、油断なく刀の柄に手をかける。
「儂は家康じゃ」
与右衛門は驚く。徳川方の総大将がひとりでいるのである。
「これはお見それいたし、ご無礼の段恐れいってござりまする」
彼が信長の口上を伝えようとしたとき、家康が叫んだ。
「敵がきたぞ。母衣(ほろ:矢や石などから防御するための甲冑の補助武具)をはずせ」
与右衛門は母衣布をはずし、籠をおろし踏みやぶるうち、武田勢が襲いかかってきた。
薄闇のなかで乱闘がはじまった。
与右衛門の従者吉田市蔵、妻木彦八は敵刃を受け討死をした。
与右衛門が家康とともに斬りたてられ危ういところへ、家康旗本の松平蔵人が数騎の従者を従えあらわれ、かろうじて命をつないだ。
地形にうとい武田の騎馬武者は、犀ケ崖の地際になだれ落ち、与右衛門は家康を奉じ浜松をめざし逃れた。
(『武田信玄 中』作家・津本陽より抜粋)
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