このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

日々是好日(生かされて生きる)

2015年12月08日 | 人生

岐阜県美濃加茂市に臨済宗の正眼寺(しょうげんじ)がありま す。
そのご住職 山川宗玄老師のお話をお伝えします。・・・by NHK放送

数年前、正眼寺門前に住んでおられるある主婦に境内の掃除をお世話して頂いた。その後、交流はなかったが、ある日の夜、その主婦の旦那さんが寺を訪れました。8時を回っていたので普通ならばお受けしないのですが、切羽詰った雰囲気であったため、お話を聴くことにしました。

旦那さんのお話では、その奥さんは病院に入っており、胃がんのため、あと1週間の余命であるとのことでした。奥さんは余命短いことがわかっているので、看護する家族に怒り散らかし、汚い言葉を吐くので、何とかならないでしょうかと、ご住職に相談されたのでした。

旦那さんは住職に色紙に何か書いて欲しいと要望されました。
住職はさて何と書こうかと考えたのですが、ふっと、言葉が浮かんだそうです。
その言葉が「日々是好日」でした。

しかし、ご住職はそのままお渡ししては誤解されると困りますので、この色紙をお渡しするときに「奥さんの人生の中で、楽しい日があったでしょうね、うれしい日があったですね。その日のことを思い出して、生きてください」と言葉を添えて渡して頂くように、旦那さんにお伝えしたのでした。

その後、1週間たっても、2週間たっても、旦那さんからは音沙汰なしでした。そして、1ヶ月、2ヶ月がたち、2ヶ月半を過ぎてから、旦那さんが来られました。
ご住職は、その後、奥さんはいかがですかとお聞きすると、数日前に妻は亡くなった言われ、今日はご住職にお礼に来ましたと告げられました。

色紙を受け取ったあくる日、ご住職の言葉を添えて病室で妻に手渡しました。
妻はその色紙をずっと見ていて、ベッドで起きるたびにその色紙を見ていたとのことでした。

そして、2週間がたったころには、飲むことができなかった水を飲みたいと言い、医師に了解を得て水を飲み、また1ヶ月がたつころにはジュースが飲みたいといい、家族はこれはガンが治ったのではないかと思い始めたのです。しかし、レントゲンで検査すればやはりガンは無くなっておらず、やはり、いつ亡くなっても不思議でない状態だと告げられました。

その後、2ヶ月をたつころには、食事がしたいと出だし、ご飯も食べたのでした。
そして、その間、家族にアルバムを持ってきて欲しいと頼み、自分の形見分けも行い、葬儀のときはこの服を着せて欲しいといい、化粧もするように頼んだということでした。

そして、息を引き取る前日に、旦那さんに「今は死ぬことは何も怖くない。ただ、あなたを残して死ぬことが心残りである」と伝えたそうです。

人間は心の持ち方一つで、怒りから安心へ心変わりできるのです。
奥さんの肉体は救うことはできなかったが、魂は救うことができたのではないでしょうか。
この魂を救うということがもっとも素晴らしい仕事なのです。

---owari---

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