現在、世の中は非常に変わった方向に流れてきています。
アメリカやヨーロッパの女性たちの生き方を見るにつけ、聞くにつけ、日本の多くの女性たちの心も、しだいに病んできました。欧米の“伝染病”が、日本にも、かなりのところまで入り込んできました。しかし、これは何とかして食い止めなければなりません。
その伝染病の根源は、「男女を競わせる」という考え方です。その前提として、「男女平等」の考え方があります。
「男女は魂において平等である」というのは、そのとおりです。しかし、それは、「男性と女性の現れ方に違いがない」ということではありません。「男女が平等である」ということは、「女性が男性のようになり、男性が女性のようになる」ということではないのです。
そういう考え方は、男女を分けた仏の心に反しています。「仏は何ゆえに男女を創ったか」ということを考えなくてはなりません。
「男女があるのはおかしい。一つの性であるべきだ。一つの種類の生き物であるべきだ」と思うならば、たいへん傲慢な考え方をしていることになります。ここが、実は、大きな間違いの出発点なのです。
女性たちは、もっと魂の尊厳を知り、霊的な喜びを知らなくてはなりません。「心の幸福とは何か」ということを知らなくてはなりません。
見よ、あのアメリカの地を。家庭を破壊する人が、どれほど増えていることでしょうか。
2人に1人は離婚し、子供たちは非行に走り、成人後も、まともな家庭を営めない子供が数多く出てきています。それは、親のまねをするからです。親が家庭破壊者なので、子供も自分が成人してから同じことをしています。そして、どんどん悪くなっていきます。
その根底にあるものは何でしょうか。
女性たちよ、間違ってはいませんか。お金と肩書に魂を売ってはいませんか。
男性たちは、お金や肩書のなかで”“泥まみれ”になっています。いま、女性たちも、そのなかに入っていき、泥にまみれようとしています。これは悲しむべき現実です。
お金を持って死ねるわけではありません。名刺も、あの世には持って還れません。当然のことです。
そういう生き方をして、死後、「あなたは、生前、何をしたのか」と問われたときに、語るべきことが何もない人が数多くいます。
人々は、もっと、「魂の真の喜びとは何か」ということを知らなければなりません。お金と肩書に魂を売ってしまってはなりません。
そのような会社のなかで、多くの男性が、魂を泥まみれにして、この世的なる生き方をしているときに、それを救うのが女性たちの仕事ではないでしょうか。その聖なる仕事を、女性たちは、なぜ放棄したのでしょうか。その罪は重いと言わざるをえません。
女性のみなさんは、目覚めなければなりません。「男女が平等である」ということは、「魂において同じ値打ちがある」ということであり、「その現れ方や性質が同じでなければならない」ということではありません。男女の魂の性質までが同じであるならば、違った性として現れてくる必要はないのです。
たとえば、「コーヒーと紅茶は、その価値において平等である」とした場合、それはどういうことであるかを考えてみてください。
コーヒーを好む人が人類の三分の二であろうが、四分の三であろうが、それは紅茶の値打ちを下げるものではありません。コーヒーは、深い味わい、香り、コクのなかに、その本質があり、紅茶は、まろやかさ、透明感、軽やかさ、香りに、味わいがあります。好みの差はあっても、「どちらが上で、どちらが下」ということはないのです。
しかし、紅茶のなかにコーヒーを入れてごらんなさい。あるいは、コーヒーのなかに紅茶を入れてごらんなさい。飲めないでしょう。
コーヒーにも紅茶にもそれぞれのよさがあります。それを発揮しなくてはならないのです。男女についても同じです。
そのことを知らないために、間違った考えが生じています。
日本の進歩的女性のなかには、そういう間違った考え方に毒されてきている人が数多くいます。そういう女性に騙されてはなりません。
現代が知識社会になってきていることも、その原因の一つです。現代は知識社会であり、「知によって男女が測られる」という考え方が、その一端にあります。
しかし、真の知は、そのような差別化のためや、優劣を競うためだけにあるのではないのです。なかには、知を磨くことで冷たい心となり、他人との区別に熱中する人もいますが、知が高まれば高まるほどに優しさが増してくるのが、ほんとうなのです。
---owari---
いつもコメント、有難うございます。
女性の優雅さ、美しさはほんとうに素晴らしいと私は感じています。
「全身全霊、女性であること」、「ありのままの姿に誇りをもつこと」は素晴らしい生き方になると思います。
おっしゃるとおりだと思います。
女性が男性化することは、ありえないことです。
まことの女性であれば、みずからの女性としての、ありのままの姿に誇りをもつでしょう。
『全身全霊、女性であること』---それが女性の尊厳です。