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6月をなぜ「水無月」と呼ぶのか?(前編)

2017年07月04日 | 日本

先週の土曜日から3日間、息子夫婦と共に孫(7か月の女の子)の子守を頼まれて、久々の旅行となりました。この和歌山・南紀旅行については後日、ブログにアップしたいと思っています。定期的なブログ配信ができなくてすみませんでした。

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今日のテーマは7月に入ってからでは少しフィット感がありませんが、あしからず。

 

皆さんは「日めくりカレンダー」に記された和風月名(わふうげつめい)の言葉に違和感を持たれたことはないでしょうか。

私の妻は絵画教室に行って、掛け軸や手作りカレンダーをつくっています。6月の日めくりカレンダーを妻が見て、この雨の多い梅雨の時期をなぜ「水無月」と呼ぶの?と聞いたのです。

 

カレンダーの和風月名は旧暦だから、1~2ヶ月季節が早いので、旧暦の6月は今の7月から8月の気候になる、と答えたものの、それが「水無月」の説明になっているのか、いささか心もとない。

 

それで少し詳しく調べることにしました。

和風月名は新暦が使われるようになって以降もこの名称が残って使われています。和風月名は現在の新暦の月名と季節感が1~2ヶ月ほどずれることになります。

 

和風月名は身近な植物の様子や農耕作業に関連した言葉、家族や地域といった狭い範囲での行事に関連する言葉から生まれたと考えられています。

 

1月の睦月や12月の師走は旧暦も新暦も時期は合っています。植物の様子や農耕作業に関連した言葉である「卯月(うづき)」や「皐月(さつき)」、「水無月(みなづき)」は季節がずれています。なぜこのようになったのでしょうか。

 

その前に、すでにご存じのこととは思いますが、和風月名の読みと月名の由来、意味等を簡単に書いてみます(注:由来、意味については、諸説さまざまある中から選んだものです)

 

 ・睦月(むつき):1月。仲睦まじい月。正月に家族や親戚でなごやかな宴を催し、睦みあう月。

 ・如月(きさらぎ):2月。まだ寒さが残り衣を更に着る月。衣更着とも書く。

 ・弥生(やよい):3月。木草弥生い茂る(草木が盛んに伸び茂る)月。

 ・卯月(うづき):4月。苗を植える月(なえうづき)。また卯の花の咲く月。

 ・皐月(さつき):5月。早苗(さなえ)を植える月。

 ・水無月(みなづき):6月。田に水を入れる月。

 ・文月(ふづき):7月。稲の穂が実る月(穂含月:ほふみづき)。または短冊に歌や字を書く七夕の行事から

  「文披月(ふみひろげづき)」。

 ・葉月(はづき):8月。木々の葉が落ちる月(葉落ち月)。

 ・長月(ながつき):9月。夜の長い月(夜長月)。

 ・神無月(かんなづき):10月。全国の神々が出雲大社に集まり、各地の神々が留守になる「神なき月」が転訛して  

  「神無月」になる。

 ・霜月(しもつき):11月。霜の降る月。

 ・師走(しわす):12月。年末に師(僧侶)が走り回るほど忙しくなる季節で「師走」と呼ぶ。

 

こうした植物の生育状況などを表す言葉が由来と考えられる月だと、新暦とずれがあり、師走とか睦月ではずれがないのはなぜでしょうか。

 

それは旧暦から新暦に改暦した時点での理由によります。

旧暦から新暦へ、いつ切り替わったかというと、明治 6年(西暦1873)です。これを明治改暦と呼びます。この年の1月1日から、現在使われている新暦(太陽暦)が使われ始め、現在に至っています。


しかし、この新暦の明治 6年1月1日は旧暦の明治5年12月 3日という大変中途半端な日付で切り替わったのです。このため、旧暦と新暦では同じ日付で季節が20日〜50日くらいずれるようになりました。例えば、旧暦の1月1日は、新暦では1月21日頃〜2月19日頃に相当するのです。

 

しかし、師走は年末の慌ただしさを、睦月は年の初めを祝う人々の様子という年中行事と深く結びついた名前です。ほとんどの人は旧暦で正月を祝うのではなく、新暦で祝っています。年末の慌ただしさも、新暦の12月に感じるでしょう。

 

こうなると、新暦では歳が改まって半月が過ぎた頃、旧暦ではまだ12月だからといって、「師走は忙しいですね?」とは言いにくい。師走や睦月という月はその名の由来を考えると、現在の新暦の暦にも合わせているのです。

 

暦は季節の変化を計るための道具である一方で、人間の社会生活のリズムを刻む道具でもあります。改暦によって正月の位置がおよそ1ヶ月移動しても自然は暦にあわせて、春の位置を1ヶ月移動はしません。ですが、暦を使って社会生活を送る人間の生活のリズムは、改暦により正月の時期を移動して合わせます。

 

和風月名には、人間の都合(改暦)では変わらない自然と、人間の都合で変わる生活のリズムそれぞれに関係した名前がありますから、「和風月名は旧暦の月名」と単純には言い切れないのです。

 

かといって、では「弥生は3月ではなく新暦の4月、卯月は5月、皐月は6月とすればいい」ともいえません。「皐月(さつき)」は「五月」とも書くくらいで、元は自然の変化から生まれた自然暦から発した言葉であって千年以上も「弥生は三月、卯月は四月、皐月は五月・・・・・」という伝統と慣習を簡単には無くし、覆すことは出来ないのです。

 

旧暦と新暦では季節が20日〜50日くらいずれると言いましたが、なぜ日数に幅があるのか?という疑問が出てきます。明治改暦では28日ずれていました。それがなぜ変化するのでしょうか?

 

後編に続きます。

 

---owari---

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