(「甘え」は「愛」の教えとは方向が逆のもの)
「甘え」というものは、どちらかというと、いわゆる、高級諸霊が説く「愛」というのと、「方向が逆」なのです。
「甘え」というのは、自分のほうに向いています。要するに、「自分を愛する」というか、「自己愛」ですね。「自己保存欲」と言ってもよいけれども、「自分がかわいい」という気持ちです。
ところが、高級諸霊の「愛」というのは、そうではありません。外に向いたもので、他の者を生かしていこうとする動きです。ここに「方向が逆だ」という考え方があるでしょう。
ただ、完全に片方だけというものではありません。自分自身もやはり神の子ですから、神の子として頂いた命を大切に生きるということは、これは立派なことであるのです。この点を「自分を粗末にしてよい」というように捉(とら)えてはなりません。神に頂いたこの魂、それから、ご両親から頂いたこの肉体、これに感謝して、そして、十分に、この命を全(まっと)うするということは大事なことです。
このときに、「他の人を排除してでも、あるいは、他の人を押さえつけてでも、蹴落(けお)としてでも、自分を生きやすくするという方向に行ったら、これは間違いになりますよ」ということです。
ですから、「甘え」のなかにも、実際は、その本質において自分を大切にする考えがあるので、それ自体は否定できないものもあるけれども、具体的には、私たちの努力の目標は外に向いているものです。他の人たちに手を差し伸べるのが、やはり愛の基本です。そのように考えて頂きたい。
---owari---
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