(一心に「神の愛」を求めて受け止めていけばよい)
ですから、遠慮なく、その「神の愛」を全身に受け止めればいいと思います。実は、あなたが独占できるような愛ではないのです。そんな小さい愛ではない。あなたに投げたら、あとはもうすべて涸(か)れてしまうような愛ではないのです。
あなたが全部奪うつもりでいても、まだまだたっぷりとありますので、いくらでも溢(あふ)れていますので、どんどん“絞り取って”いったらいいです。あなたが受けられるものは小さいです。もっともっと“なみなみと”あるものです。洋々たるものです。
猫の恋の季節が来れば、やがて子供が生まれると推定されます。そうすると、子猫たちはたいてい何匹かいっぺんに生まれます。五匹、六匹、七匹と生まれますが、この子猫たちが親猫のお乳を吸っている姿というのは、決して「自分が吸ったら“ほかの人”が吸えなくなるから」とか、そんなことを考えてやってはいません。もう一生懸命、突入しています。一生懸命、吸っているわけですが、私はそれでいいのだと思うのです。
母猫と子猫ぐらいの、もっとそれ以上の違いが、実は神と人間にはあるでしょう。ですから、一心に「神の愛」を求めて受け止めていけば、それはそれでいいと思います。あの子猫の姿を思えばいいのです。母猫は怒りはしないと思います。その子猫が、自分が乳を吸うことだけを考えて来ているということに、怒りはしないと思います。「どうぞ、しっかりお飲みなさい」と言っているでしょう。それでなくなるようなものではないということです。
ですから、「優しさの罠」にあまり入り込まないようにしてください。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます