(「楽天家タイプ」の子供と「減点主義」の子供の違い)
若い人に対し、付け加えて述べておきたいことがあります。
学校の先生の立場からすると、自分が教えたことについて、テストで百点に近い点数を取る子供を好ましく思うのは当然ですし、世間的に見ても、成績のよい子供のほうが、よい学校に行け、よいところに就職でき、出世できて、親を喜ばせる可能性が高いと言えます。
私は、そういう考え方自体は否定しませんし、全体的には、その方向でよいと思います。勉強しない方向を進めたのでは、子供たちの成績は、どんどん下がっていってしまいます。「ゆとり学習から、さらに勉強をしない方向へ」と、どんどん落ちていったのでは駄目なので、勉強ができる方向に行くのはよいことだと思います。
ただ、学校秀才型の子供には、考え方のなかに一つの弱点があります。それは、秀才になればなるほど、どうしても「減点主義」でものを考える傾向が出てくることです。
みなさんのなかには、お子さんをお持ちの人も多いでしょうが、例えば、学校で中間テストや期末テストがあって、子供が家に帰ってきたときに、「試験はどうだったの?」と親が訊くと、「うん、よくできたよ」と軽く答える子供がいます。ところが、一週間後に答案が返ってきて点数を見たら、五十五点だったりすることがあるわけです。
「うちの子供は、五十五点で『できた』と言うとは情けない。普通は、その程度で『できた』とは言わないものだ。『できた』と言う以上は、八十点ぐらいは取ってくれていないと困る、私のころは、そうだった」と、親としては思いたくなります。
五十五点で「できた」とは、「半分は超えた」という程度の意味なのでしょう。そのぐらいで「できた」と考えているわけです。しかし、そういう点数では、先生も親も、それほどほめてくれません。
一方、「今回は少し失敗した。いくつか間違えたので、あまり出来がよくないかもしれない」と言っていて、答案が返ってきたら、八十八点か九十点、九十三点だったりする子もいます。
秀才の子は、ほとんどの問題ができているので、自分が間違った問題をはっきりと覚えています。「あそことあそこを間違えた」と、間違えたところが明確に分かるのです。そのため、当然できなければいけなかった問題を間違えていると、「テストはどうだった?」と親に訊かれたら、「今回は駄目だ。失敗した」と答えるわけです。
それで、親のほうが、「うちの子は、『駄目だった』と言っているから、本当に駄目だったのかな」と思っていたら、全体的に見れば、それほど悪くない点数だったりします。たまたま、問題が難しかったか、やや細かい問題に引っ掛かっただけであって、本人が言っているより意外によい結果が返ってくることがあるのです。
このような二通りの子供がいますが、学生時代には、減点主義であろうと何であろうと、点数のよいほうが尊敬されるのは確実です。
---owari---
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