ここでは、単に夫婦生活のみならず、人生の一般論についても語っておきたいと思います。
人生とは、階段の上に生まれ、そこを生活の場としているようなものです。すなわち、そこは階段なので、一歩でも動くとすれば、上昇への道を辿るか、下降への道を辿るか、この二つしかないのです。
夫婦が誓い合って結婚したということは、「人生の途上において、二人の階段がどこかで交差し合い、同じ段に二人で並んだ」ということです。結婚後、この二人が進んでいく道は、階段を上るか、下るか、このどちらかでしかありません。
要するに、心が揺れ、判断に迷うときには、「私たちは、いま、階段を上っているのだろうか。それとも、下っているのだろうか」と、自問自答していただきたいのです。
妻である自分の言うことが、あるいは、夫である自分の言うことが、階段を下っていく行為に相当するならば、それを考え直す必要があります。二人で力を合せて階段を上らなければなりません。
片方が上がりを目指し、片方が下ろうとしているならば、上がっていこうとする者は、決して自分一人だけが行こうとするのではなく、力強くありなさい。そのとき、力が足りないのならば、愛の力を信じなさい。仏の力を信じなさい。そして、言葉によって相手を励ましていくことです。
家庭愛において大事なことは、言葉による愛です。新鮮で感動的だった出会いのころは、素晴らしい言葉を語ることは簡単だったでしょう。しかし、毎日の生活を経ながら、なおかつ新鮮で素晴らしい言葉を出しつづけることは、難しいことなのです。
それは、太陽が、毎日、地表を照らしてくれることに対して、人々が、ともすれば感謝を忘れがちであることと似ているかもしれません。太陽は、毎日、東の空から昇ってくれるからこそ、ありがたいのであって、太陽に感謝する気持ちがあるならば、毎朝、感謝しなくてはならないでしょう。
夫婦も、太陽に感謝するのと同じで、毎日、お互いに楽しく暮らしていけることを感謝し合わなくてはなりません。感謝をし、その感謝を口に出し、言葉としていくことを常としなければなりません。それが大事です。
また、家庭愛のなかに子供への愛を含めるならば、「決して子供を言い訳にはしない」と二人で誓うことが大事です。
子供を、家庭が発展していくための素晴らしいエネルギーとし、梃子(てこ)としていくことはよいのです。そうせずに、子供を、仕事ができず、生活が不規則になり、疲れることの言い訳にすることだけは、決して、してはなりません。
かつては自分たちにも子供の時代があり、親の愛を受けて育った自分たちなのですから、子供を育てることは聖なる義務だと思うことです。
子供が自分たちに迷惑をかけるならば、それは自分たちから仏への恩返しになると思わなくてはなりません。「両親に恩返しをする代わりに、人類の未来に対して、また、大きくは仏の栄光と繁栄に対して、恩返しをしているのだ」という気持ちを忘れないでいただきたいのです。
決して子供を言い訳に使ってはなりません。すべてにおいて発展的に生きていくことが、家庭愛の素晴らしさなのです。
みなさんが新鮮な感動を忘れてしまったならば、どうか、初心に返ってください。朝、目が覚めたときに、「きょう、命が与えられた」と思って、「夫婦で共に素晴らしい言葉を出し、お互いに愛し合う」という努力を忘れないようにしていただきたいと思います。
---owari---
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