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こんなに違う高校「歴史総合」教科書(後編)

2024年01月27日 | 歴史
歴史教科書には「思想誘導」型、「社会科学」型、「歴史物語」型の3つがある。

(「過去をうまく蘇らせる人を歴史家というのです」)
文芸批評家の小林秀雄は、学生を対象としたある講演で、こう語っています。
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歴史家とは、過去を研究するのではない、過去をうまく蘇らせる人を歴史家というのです。・・・歴史家の精神の裡(うち)に、過ぎ去った歴史が生き返っていて、その生きたさまを書くから、僕らを捉えるのです。歴史家の目的は、歴史を自分の心の中に生き返らせることなのです。
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「過去をうまく蘇らせる」というのは、先人の姿が私たちの心中に蘇って、私たちに語りかける、ということでしょう。歴史家が語る歴史物語の中でこそ、先人が蘇ってくるのです。

「日本人の勇気と規律、鉄のような意志、不屈の力によって勝利を収めた日本に心からの祝意を贈る『サメイ新聞』)」という一文に、当時のインドの人々の賛嘆と、そういう未来が自分たちにも開けるかもしれない、という希望が点された喜びが、我々の心中に蘇ってきます。

それに対して、「賠償金が得られなかったことなどから、増税や人的犠牲に釣りあう成果ではないと受け止めた人々も多く」という一文では、論理的説明にはなっていますが、この説明からでは先人の声が聞こえてきません。これは歴史研究者による社会科学的記述ではあっても、歴史家によって我々の心中に蘇った過去ではないのです。

思想誘導型の「韓国・満洲利権をめぐる帝国主義国家どうしの争いであった」という一文にいたっては、論理的な歴史研究ですらなく、先人に対する問答無用の「断罪」です。現代の高校生たちは、先人への断罪を刷り込まれて、そこから生ずるのは、先人たちへの憎悪だけでしょう。

(「日本国民としての自覚」と「我が国の歴史に対する愛情」)
[指導要領]は「歴史総合」の目標の一つとして、以下を設定しています。
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日本国民としての自覚, 我が国の歴史に対する愛情, 他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚などを深める。
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ここで「(日露戦争は)韓国・満洲利権をめぐる帝国主義国家どうしの争いであった」という思想誘導型の記述からは、先人に対する憎悪は生じても、「日本国民としての自覚」も「我が国の歴史に対する愛情」も生まれるはずはありません。

そもそもマルクス主義は自国の過去への憎悪をエネルギーとして、国民共同体の絆を断ち切り、革命を目指すという戦術ですから、革命前の国家に対しては、「日本国民としての自覚」も「我が国の歴史に対する愛情」も育んではならないのです。青少年のこころに憎しみの情を植え付ける、という事が、マルクス主義が健全な人間性の育成を阻害する邪悪な本質です。

一方、「社会科学」型ではどうでしょうか? 「賠償金が得られなかったことなどから、増税や人的犠牲に釣りあう成果ではないと受け止めた人々も多く」という記述から、「日本国民としての自覚」や「我が国の歴史に対する愛情」が生まれてくるでしょうか?

人間の声も姿も浮かんでこない論理的記述では、知識は得られても、こころは動きません。人間は、抽象的知識には共感できないのです。先人への共感がない限り、同じ日本国民としての自覚も、祖国への愛情も持てないのです。それを可能とするのは「歴史物語」型のみです。

「日本人の勇気と規律、鉄のような意志、不屈の力によって勝利を収めた日本に心からの祝意を贈る『サメイ新聞』)」という記述によってこそ、インド人にこれほどの感激を与えた先人への敬愛を抱き、そういう先人の子孫として、自らも立派な生き方をしようという「日本国民としての自覚」も生まれてくるのです。

そして、これほどに自分たちの先人に感激したインド人の姿を思い浮かべることによって、自ずから「他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚」も生まれてきます。

「主体的・対話的で深い学び」とは、生徒たちが主体的に活き活きと動くこころを持って、先人の声に耳を傾け、そうした「先人との対話」を通じて、「日本国民としての自覚、我が国の歴史に対する愛情、他国や他国の文化を尊重すること」を学ぶことだと考えます。

(史実を素直に見れば、美しい「歴史物語」はいくらでも見つかる)
弊誌は今まで、12百余編の発信を行ってきましたが、その中で多くの先人たちの姿を蘇らせ、その声を聴こうと取り組んできました。

一人の立派な先人をとりあげると、その人物を育てた人、助けた人、その志を継承した人などなど、芋づる式に見つかって、良い意味で「きりがない」のです。それほど我が国の歴史は敬愛するに足る人物に満ち満ちています。こういう国だからこそ、革命も起こらずに、一系の皇室のもと、世界最古の歴史を紡いできたのです。

したがって、史実を詳しく見て、素直に感ずるこころをもって、先人の姿を思い描き、その声に耳を傾ければ、青少年の心を打つ美しい「歴史物語」はいくらでも見つかります。史実をねじ曲げたり、捏造する必要はまったくありません。

逆に、これだけの立派な歴史を持つ国を悪し様に描こうとすると、「従軍慰安婦」のような無理なウソを積み重ねなければならないのです。

歴史教育を、作為的な嘘で固めた「思想誘導」型、無味乾燥な「社会科学」型から救い出して、本来の「歴史物語」型に戻すことが必要です。そのためにも、大人が、先人の声に耳を傾け、心躍らせて青少年にその思いを語っていくことが不可欠です。そのように一隅を照らす大人が増えれば、闇も消えていくでしょう。
 (文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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