より豊かで、より潤いに満ちた生活を送っていくには、どのようにすればよいのでしょうか。このテーマについて、みなさんは考えたことがあるでしょうか。
人間は、ともすれば、豊かさというものを忘れがちです。みなさんは、もちろん、物質的な豊かさは知っているでしょうが、「毎日が豊かである」という感覚は、そう簡単には分からないかもしれません。これは、その感覚を思い起こしてみなければ、なかなか理解できないものです。
桜の花がつぼみを開きはじめるころに、そのほほえみかけるような桜並木の下を通った日の温かい思いが、みなさんの記憶のなかにはあるでしょうか。一日一日が積み重なって一年となりますが、その一年のなかには、とてもとても豊かな一日があるのです。
それは、何とも言えない感慨です。あえて、それを言葉に置き換えるならば、「自分というものが溶け出し、流れ出して、大自然と一体になったような気持ち」と言ってもよいでしょう。あるいは、「豊かで大きな気持ち、自然を包んでいる大きな心と、一体になっている」という感覚です。これが、実は、豊かさというものと大きくかかわっているのです。
こういう比喩的な表現でしか、みなさんにお伝えすることができないことを、とても残念に思いますが、「自分自身の心が溶け出し、フワッと広がって、すべてのものと一体になるような感覚」を、私は「豊かさ」と呼んでみたいのです。
みなさんの毎日は、どうでしょうか。自分の一日を映像化し、映画でも観るように眺めてみてください。そうすると、早足で、ハツカネズミのように、あちらに走り、こちらに走り、忙しそうにしている自分の姿が目に浮かぶことでしょう。そういう姿のなかに、どうして豊かさを感じ取ることができるでしょうか。むしろ、個性の埋没さえ感じるのではないでしょうか。
「忙しそうに立ち働いているなかで、心を見失い、自分を見失う。毎日のルーティンワークのなかに、自分を埋没させていく。そして、いつしか、あの豊かな心を忘れ去ってしまった。
梅の花の香りのなかに漂う、あの心。桜の花のほほえみのなかを通り過ぎたときに感じた、あの心。咲き乱れるチューリップ畑のなかで感じた、あの心。和やかな顔になり、笑顔に溢れ、屈託もなく引っかかりもなかった、あの心。
そういう心を忘れ去って、いま、自分はここで何をしているのだろう。いったい何に夢中になっているのだろうか。まったく取り返しのつかない日々を送っているのではないか。
自分は石炭を掘りつづけて、顔も体も真っ黒になっている。坑道のなかを深く掘って、真っ黒になっている。いつのまにか石炭を掘っている自分であるが、ふと考えてみると、自分は石炭を掘るつもりではなかったのではないか。自分が『欲しい』と思っていたのは、あの透き通ったダイヤモンドだったのではないか。自分は『ダイヤモンドを掘り出してみたい』と願っていたのではないか。
それにもかかわらず、いつのまにか、スコップを持つ手は、土を掘り返して石炭を採掘することに意義を見いだしていたのではないか」
こういう間違いが、あちらでもこちらでも見つかるような生活をしているのが、現代人の姿かもしれません。
この際、気をつけなくてはならないことは、「豊かさがない」ということだけでなく、「潤いがない」ということです。
豊かさと潤いとは、似ているところもありますが、違ったところもあります。豊かさが、根源的なる大きなものと一つになっていく感覚だとすれば、潤いとは、「その豊かさのなかにある自分が、キラリと光る瞬間を持つ」ということになりましょうか。
雨上がりの大自然を思い浮かべてください。
「池の上の霧が晴れ上がって、太陽の光が射してくる。
草の葉にたまっていた雨の滴が、一つ、二つと、時間を置いて、池の水に落ちていき、確かな波紋をつくっていく。
葉の上でキラキラと輝いている水玉。起き抜けのような太陽の光を浴びて、虹色に光っている、その美しい姿。それが、葉の先に集まって大きな玉となり、重みをたえて葉を押し下げ、やがて、ある瞬間に、プルンと葉を震わせて、水滴となって落下し、池に落ちる」
その輝きの瞬間、私たちは潤いというものを感じます。これは、豊かさとは明らかに別の感覚であって、「潤い」と言うにふさわしい感覚だろうと思います。
これを別の言葉で言うならば、「一日の生活のなかにある、寂たる時間、静寂なる時間。まるで永遠を感じさせるような、寂々たる時間。その時間を持つ」ということになりましょうか。こうした静寂なる時を持ち、心を静めることが、潤いにつながっていくと私は感じるのです。
豊かさの感覚が、人間にとって、永遠の理想であるとすれば、潤いの感覚は、一日のなかの理想でしょう。「一日のなかに理想を持った人間は素晴らしい」、そう本心から言うことができます。
「一日のなかで、喧騒から離れ、自分の内に静寂なるものを見いだすことができた人間は素晴らしい。そこに光がある。そこに輝きがある。そこに光沢がある。そこに、芳醇なる、馥郁たる香りがある。それを潤いと呼ぼうではないか」、そう私は提案したいのです。
---owari---
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