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日本の鉄道はかくも時間が正確なのか

2016年12月29日 | 日本

訪日した外国人が異口同音に驚嘆の声を上げ、「日本人の民族性の表れ」と賛美していることの一つに、日本の列車運行が正確だということがあります。日本人は当たり前と思っているのですが、世界の人びとから見れば、それは異常なことだというのです。

 

ちなみにその実力はどのようなものでしょうか。

JR東日本が運行する新幹線の一列車あたりの遅れは年間(2003年度)わずか0.3分、在来線でも0.8分。JR東日本だけで1日あたり実に12,220本の列車を、1分と違わず時刻表通りに運行させているのです。その実情には、正確な運行を必要とする日本の社会があるのです。

 

JR東日本だけで1日あたり実に1,620万人もの旅客を、平均遅延1分を切る正確さで運行する巨大システムが運営されています。途切れることも、途絶えることもない人の流れを支えるためには、都会の鉄道は、当然のごとく「秒単位」の管理が要求されているのです。

 

東京圏の電車の発着時刻は10秒単位、駅での停車時間は5秒単位で計画され、運転士たちは駅の通過時刻を何と1秒単位で認識しているというのです。世界でも類を見ないこの驚くべき「列車の定刻運行」はどのようにして構築されて来たのでしょうか?

 

その前に、世界の鉄道事情(定刻運行)はどのようになっているでしょうか。

イギリスでは10分、フランスでは13分、イタリアでは15分までの遅延は統計上「定刻運行」と見なされるそうです。それでも定刻運行率は90パーセントなのです。どちらの方が真っ当なのかはその国民性により違うかと思いますが、定刻運行について、日本だけがずば抜けて正確で、緻密であることは確かなようです。

 

ブラジルのジョークを思い出しました。

駅で列車を待っているお客が列車の来るのを見て言いました。「今日はめずらしく定刻に列車が来たわね」。すると駅員が言いました「お客さん、この列車はまる1日遅れの列車です」。

世界ではこのように遅れることは珍しくないということでしょうか。

 

それでは、日本の定刻運行は外国と何が違うのか?

それは最先端のコンピューターシステムの力ではありません。ネットではよく語られているお話ですが、日本に皇室があったから、皇室の「お召し列車」のおかげで、鉄道ダイヤの正確さが求められ確立できたと言われています。

 

「お召し列車の運行」には絶対に守らなければならない「三大原則」があるそうです。

①お召列車と並行して走ってはいけない。

②お召列車を追い越してはいけない。

③お召列車の上を走ってはいけない。

 

この三つを徹底して守りながら、かつ、通常の列車の運行も止めてはいけないのです。

そんな 離れ業 を実行するためには、ものすごく緻密に計算されたダイヤが必要になります。

 

もちろん、いくら緻密で素晴らしいダイヤが組めても、それを実際に運行できなければ意味はないわけで、その実行力、それに懸ける執念に関しては、日本人の民族性が寄与していることは間違いないでしょう。

 

しかし、忘れてはいけないのは、その「生真面目さ」や「誠実さ」を支えていたのは、やはり、日本人の天皇・皇室に対する貴い崇敬心があったと思うのです。

 

「お召列車の原則をきっちりと守りつつ、庶民の列車の運行も乱さない」

「天皇は民のためにある」という考えを、古代から今日に至るまでずっと踏襲しているのが今の天皇・皇室です。

 

世界で唯一、この日本だけが、「天皇は民のために存在している」ということを建て前ではなく、本気で思っている国だから、世界で一番緻密で、正確な定刻運行が実現できているのです。

 

ただし、「お召し列車」だけで、定刻運行を作り上げて来たとは私は思いません。

 

狭くて細長い日本の国土に鉄道はよくマッチして、国民生活を効率よく動かすシステムとして優れています。しかし、鉄道が適すると言っても、日本で鉄道用地を得ることは困難でした。

 

だから、初期の鉄道はほとんど単線です。上下の列車を一本のレールでさばくには運行ダイヤが正確でなければ成り立ちません。また、本線と支線の乗り継ぎをスムースに運行することはとても大事なことでした。そして、明治百年の鉄道の定刻主義が、以降の一分、一秒をもたがわず時間を守る勤勉な国民性を育てたのではないでしょうか。

 

また、それ以前に根底には日本人の国民性が大きくかかわっていると見ています。

時間は区切りやけじめをつけることで認識できますから、区切りを多くするほど時間意識は高まることになります。

 

日本文化の象徴はある意味で、人間の最も際立った属性であるこの時間認識の程度と、時間の活用ではないでしょうか。日本社会が活力に充ちて、戦後高度の経済成長を遂げたのも、節目、けじめを尊ぶ民族性があったからです。

 

日本人の時間感覚をさらに磨いたもう一つの要素として、暮れと正月の一線です。年内に仕事や借金や約束事を片づけて、けじめをつけなければ気がすまない性格。先生まで走り出すという「師走」の多忙は、日本人の特性にその原因があるように思われます。

 

もっと遡れば、稲作農耕民族である日本人は、季節に生活のリズムを合わせて暮らすため、一年を立春、春分、夏至などと二十四節気と、さらに土用だ、節分だ、八十八夜だといったたくさんの雑節を設けています。つまり、季節や時間に区切りをつけて、それまでに仕事を片づけていかねばならなかったのです。それらが、時間を大切にする民族性を生みだしたのではないでしょうか。

 

日本人は日常、今日は大安吉日だ、友引だ、今年は申年だ、酉年だと時間に意味を与え、着色して暮らしてきました。さらに年号によって時代を明確に区別してきました。60年経ったら還暦で元に戻る。生きている一生の時間を、縁起をかつぎ、意味付けして、大切に過ごしてきました。これが時間、けじめ民族の特性なのです。

 

日本の四季に合わせて稲作農業を行うには、時間に節目をつける必要があったのです。とても怠け者やノロマでは務まらなかったのです。この状態を毎年繰り返し三千年以上続けて来ました。

これが日本人のDNAとなり、世界に冠たる鉄道ダイヤの正確さを実現させ、誇り高き豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国を生みだしたのです。

 

---owari---

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