私たちは神仏から、地球上で最高の乗り物(肉体)を毎日、お借りして生活している。
この乗り物は世界で一番高い車フェラーリの「ラ・フェラーリ(およそ1億6000万円)」よりも格段に高く、あくまでも私の試算ですが、100億円以上はするものと思われます。
以前の私のブログでも書かせて頂きましたが、たとえば100億円であったとしても、100年の長期リースでお借りし、無利子でも1年間で1億円となり、1日では27万円になります。
私たちは1日生きれば27万円以上の価値を毎日得ているのです。
生きているだけで大儲けしていることを忘れてはなりません。
神仏から肉体を無償で与えられていることを忘れてはなりません。
私たちの本性は肉体ではなく、霊性であるということです。本性は心であり、魂であるということです。
毎日、神仏に感謝して、神仏のお喜びなる行いをして、お返ししなければならないのです。
それが人の道ではないでしょうか。
また、神仏と人間の関係は、親と子の関係と見ればよいのではないでしょうか。
私たちの多くは、肉体的外形にとらわれすぎています。
肉体の悩みにとらわれすぎています。
あの人は背が高いとか、低いとか、美人であるとかないとか、いろいろなことを苦にし、日々それを話題としている。しかしこれなども、愚かな人びとの考えであると思う。
そのようなことで悩むことはないのです。
肉体はひとつの乗り物です、今世において、修行ができればそれでよいのです。
悩むべきはその心です。心が美しくないことを悩まなければなりません。
私たちの適性にあった、今世の修行にもっともふさわしい車種が与えられているのです。
力強くて、たくさんの仕事ができる「ダンプカー仕様」、エレガントでスピードが速い「スポーツカー仕様」、地味だが大衆から愛される「セダン仕様」、キャンプや屋外で遊べる「アウトドア仕様」など多くの車種がありますが、自分が乗っている車が最高だと思わなければなりません。
ダンプカーを乗っている人は、スポーツカーは頼りないと感じないでしょうか。
そのように、今世、自分の修行にもっともふさわしい車種が与えられているのだと、これを乗りこなせば自分の魂は次の高みに行くことができると信じて、この人生を乗り切ろうではありませんか。
---owari---
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