このゆびと~まれ!

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今まで世界が伝えた「日本人の姿」

2016年07月24日 | 外国

2年前の話になります。ロシアのテレビ番組で、日本のクイズ番組をものまねした放送がありました。登場する人物はロシア人なのですが、変な日本語(日本語になっていない、多分このような発音ではないかと言うようなことば、時々分かるのは人の名前だけ)を使って、司会者からのクイズに回答していました。

 

それで、回答者の答えが間違っているということで、短刀とハンカチが出てきまして、間違った回答者は「指を詰める」しぐさをしました。これをロシア人がおもしろがる、よろこぶと言ったシーンが流れていました。

 

この現代においてもこのような間違った行為が行なわれており、それを揶揄(やゆ)するがごとき場面を楽しむという構図になっているのです。

 

これは戦後、欧米諸国が日本人や黄色人種を揶揄し、間違ったイメージを与えるためにいつも取ってきた行動なのです。日本人や黄色人種をサルや野蛮な人種とする政策を故意にずっと取って来たのです。

 

だから、日本人と言えば出っ歯で、背が低く、ぶさいくな人物としてずっと描いてきたのは、プロパガンダ(特定の主義・思想についての政治的な宣伝)なのでした。これは、白人の差別主義に根ざすもので、日本と言えば、富士山、芸者、侍、腹切りのようなイメージしか伝えてこなかったものです。

 

今、ネット時代になって、世界の人びとが日本を訪れ、その人びとが直接に日本の姿を世界に配信するため、今までの悪くイメージされた日本でないことがいっぺんに広がり、世界は日本の姿に驚くのです。これは白人の差別主義が徹底していただけにその反動として、世界は日本の姿に驚いたのでした。

 

もう、うそはつけない、もうプロパガンダはできない、もう差別主義は効かない、だから、21世紀は日本の世紀になるのです。日本が大きく花開く時代になったのです。世界の人びとが日本を、日本文化を、日本文明を楽しむ時代になったと言うことができるのです。

 

話しは少し変わります。

昭和の初期に駐日フランス大使を6年間務められたポール・クローデルさんの日本についての感想をご紹介します。

 

「かつて私は学校で、日本人というのはダメな民族であると教わることが、多かったように思います。教会でも、日本人の短所を聞くことは多かったけれども、長所を聞くことは少なかったように思います。こうした教え方というのは、じつは非常に偏った教え方なのです。日本人の代々の先祖たちは神様に愛され、神の愛を一杯受けた人々だったのです」と述べているのです。

 

男性だけではなくて、女性もそうでした。日本人の女性たちがたいへん素晴らしかったことは、昔の色々な文書を読むと分かります。かつて、通商条約を日本で結ぶために来日したプロシアの使節団で、オイレンブルクさんという方の一行が江戸を訪ねたことがありました。

 

彼らは植木屋で休憩を取ったのですが、

「この庭園で最も美しい花はその家の娘だった」と書いています。

「彼女はまれにみる品格と愛嬌ある女性で、われわれが来たときは、質素な普段着で園芸の仕事をしていたが、仕事をやめて我々にお茶を出してくれた。控え目でしかも親切な物腰に、我々の一行はみな魅せられてしまった」と言うのです。

 

さらに、

「私達にお茶を出した若い女の子は、私達が話しかけるといつも可愛らしく顔を赤らめるのであったが、この若い女の子に、たちまち私達一行の若い人々は心を奪われ、彼らを出立させるのに非常に苦労した」と書き残しています。

 

また、プロシア艦隊の艦長ヴェルナーも、

「日本女性はすべてこぎれいでさっぱりしており、平均的にかわいらしいので、日本国土の全体に惚れこんでしまいそうだ」と感じたといいます。

 

欧米人の目に映った当時の日本女性は、必ずしも造形的な意味で美しかったわけではありません。イギリス人ティリーは、日本の女性は厳密な意味で美しいのではなく、感じがいいのだと指摘しています。昔の日本の女性は、大和撫子(やまとなでしこ)という言葉で呼ばれました。こうやって、日本に来た外国人がいろいろと、日本女性の素晴らしさを書き立てたのです。

 

そのため、そうした文章を外国で読んだ外国人たちが、わざわざ日本にまでやって来て、日本の女性を妻にしたいと、嫁さん探しをやったことがかなりあったのです。

 

日本人女性は、家庭でも大きな存在感を持っていました。イギリス人写真家ポンティングは、日本の女性についてこう感じたそうです。

「家庭では、『彼女は独裁者だが、大変利口な独裁者である。彼女は自分が実際に支配しているように見えないところまで支配しているが、それを極めて巧妙に行なっているので、夫は自分が手綱を握っていると思っている』」と深く読んでいました。

 

また、オランダの海軍軍人で政治家のカッテンディーゲはこう言いました。

「日本では婦人は、他の東洋諸国と違って、一般に丁寧に扱われ、女性の当然受けるべき名誉を与えられている。ヨーロッパの婦人のように出しゃばることはなく、男よりへりくだった立場にあまんじているが、だからといって、決して軽蔑されているのではない」。

 

1888年(明治21年)から翌年にかけて華族女学校で教えたアメリカ人女性アリス・ベーコンは、

「日本人の中で長年暮した外国人は、美の基準が気づかぬうちに変わってしまい、小さくて穏やかで控え目で優美な日本女性の中におくと、自分の同胞の女性が優美さに欠け、荒々しく攻撃的で不様に見えるようになる」と記しています。

 

「なぜ日本人が、このような品格や気質を身につけることが出来たのでしょうか。それは、日本人が神様に愛されてきたからであり、神様によって特別な使命を与えられてきたからではないでしょうか」と綴っているのでした。

 

そして、太平洋戦争のまっただ中、日本が敗戦濃厚だった頃に、フランスのパリで晩餐会が開かれ、ポール・クローデル大使は出席しました。この席上で、彼はこうスピーチしました。

「私がどうしても滅びてほしくない一つの民族があります。それは日本人です。あれほど古い文明をそのままに今に伝えている民族はありません」

 

さらにこう言いました。

「日本人は貧しい。しかし高貴である」

 

彼はかつて6年間日本に滞在していましたが、日本人と触れ合うことで、気高さを感じたと言います。

 

1923年に関東大震災が起こり、東京にあったフランス大使館も焼けてしまったそうです。その時クローデル大使はこういう文章を残しました。

 

「地震の日の夜、私が東京と横浜の間を長時間歩いているとき、あるいは生存者たちが群れ集まった巨大な野営地で過ごした数日間、私は不平一つ聞かなかった。人々はまるで両親が発狂してしまった良家の子供たちのように、悲しみに満ちた諦めの気持ちを抱いていた。廃墟の下に埋もれた犠牲者たちの声も『助けてくれ!こっちだ』というような差し迫った呼び声ではなかった。『どうぞ、どうぞ、どうぞ、お願いします』という慎ましい懇願の声だったのである」。

 

地震のあとの日本人たちの姿を見て、感銘を受けたと言うのです。自分の身に降りかかった不幸を淡々と受け止めて、どんな困難な時にも、ものを頼む時の礼節を忘れない姿勢に心を打たれたと述べているのです。

 

さて、現代の日本人にもその高貴なDNAは残っていますが、先輩たちに恥じないDNAでしょうか。私たちはこの優れたDNAを維持向上させ、世界に向けて貢献しなければならない時代を迎えているのです。

 

---owari---

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