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魂はなぜ「鬼に云(い)う」と書くのか?

2016年06月23日 | 霊界

ブログやネットで取り上げられていることですが、「魂」になぜ「鬼」が関係するのかがわからない、という記事が時どき見受けられます。そのことについて、少し考えてみたいと思います。

 

『魂(コン)』の漢字の構成は、云(もやもや)+鬼(死んだ人・霊)=魂(もやもやした人間の霊)となります。漢字の部首は『鬼・おに、きにょう』、漢字の意味は、『魂(たましい)』です。

 

漢字の世界では、死後空に昇天する『たましい』を『魂(コン)』、しばらくの間地上に留まる(骨を表す白+鬼)『たましい』を『魄(ハク)』といいます。

『魂(コン)』も『魄(ハク)』も『たましい』と読みます。

 

それでは「鬼(おに)」の字についての説明です。古代文字の「鬼」は大きな頭をした人の形です。大きな頭は、この世の人とは異なる存在であることを表しています。古代中国では人は死んだら鬼になると考えられていました。多分、死んだ人の顔に何かをかぶせていたために、大きな頭となったのではないでしょうか(これは私見です)。

  

古代文字の「鬼」には、今の字形にある「ム」はありません。「ム」は後に加えられたものです。「ム」は「云(うん)」の省略形と考えられますが、その「云」をさらに「鬼」に加えたのが「魂」です。この「ム」は亡くなった死者の骸骨が横になった状態に、怪物の角と私利私欲の「ム」がくっついて鬼という字になったと言う説もあります。

 

「云」は「雲」の元の字形です。古代文字の「云」は竜(りゅう)が頭部を 雲に 隠(かく)して、しっぽだけを出している姿。つまり「云」は雲状なものを意味します。その「云」に気象現象を表す「雨」を加えた文字が「雲」です。「雲(ウン)」は、雨(水分)+云(もやもやした湯気)=雲(水分がもやもやと空気中に浮かんでいる様子。くも)を表しています。

 

ですから「魂」とは人が亡くなると雲状のものとなって辺りを浮遊し、やがて天に帰っていくことを表す文字なのです。

 

最近の住宅事情でマンションなどの場合は、仏壇の真上が部屋になっており、足を踏み入れる場合があります。このような場合、和紙に「天」や「空」や「雲」という字を書き、仏壇が安置してある天井に貼り、仏壇の上は何もないという形を取っているところがあります。

私は、この場合の「雲」には、霊魂がただようという意味もあるのではないかと思っています。

 

雲にはいろいろ意味が込められた言葉があります。暗雲は悪いことが起こりそうな気配ですし、紫雲(しうん)はめでたいしるしとされた紫色の雲です。青雲は高い地位のことを意味します。

 

『云(ウン)』という字は、もやもやした様子・口ごもる様子を表した象形文字です。

音読みは漢音で『ウン』、訓読みは『云(い)う』です。

これは何?これはどう?と云うことを云何(イカン)、それ以下を省略して云うことを云云(ウンヌン・ウンウン)といいます。

 

云(い)うは、言(い)うと書くのが普通です。

云(い)うは、口ごもって云う。引用して云う。

言(い)うは、はっきり言う。

謂(い)うは、あることについて話す。

 

以下は「鬼」について、由来があるものを取り上げました。

 

古くは、「おに」と読む以前に「もの」と読んでいた。平安時代末期には「おに」の読みにとって代わられた「もの」だが、奈良時代の『仏足石歌』では、「四つの蛇(へみ)、五つのモノ、~」とあり、用例が見られ、『源氏物語』には、「モノにおそはるる心地して~」とある。これらの「モノ」は怨恨を持った霊=怨霊であり、邪悪な意味で用いられる(単なる死霊ではなく、祟る霊)。

 

仏教では、生前に貪欲だった者は、死後に餓鬼道に落ち、餓鬼になるとされている。また、地獄で閻魔の配下として、鬼が獄卒(獄の番人、亡者を責める鬼)の役を務めているとされる。

 

人に化けて、人を襲う鬼の話が伝わる一方で、憎しみや嫉妬の念が満ちて人が鬼に変化したとする話もある。代表的な例としては、能の「鉄輪」や「紅葉狩」に、嫉妬心から鬼と化した女性の話が伝わっている。「般若の面」はその典型です。

 

人が死ぬことを指して「鬼籍に入る」などと言う言い方がある。

これは死者の名や死亡年月日などをしるす過去帳であるが、仏教や民間信仰などで地獄の閻魔大王の手元で管理されているとされる書類であり、閻魔帳(えんまちょう)とも呼ばれている。

 

また、中国では他国の人種を蔑称する際「鬼子」という言葉を使う。

2010年の尖閣諸島中国漁船衝突事件を受けて、中国で発生した抗議デモで、日本人の最大級の蔑称として“日本鬼子”を使用した。

 

多くの日本人が目にしたが、日本人にとって「鬼」=「力強さ」との肯定的な意味合いや、節分の鬼や昔話などで幼少期から馴染みのある存在という側面を持つため、同じ漢字文化圏でありながら、肝心の日本人にはいまひとつ侮蔑の意が伝わらなかった。

 

インターネット上ではこの蔑称を「日本鬼子(ひのもと おにこ)というキャラクター」として捉え、外見設定や性格付けを行って萌えキャラクター化することで、冗談混じりにひねった意趣返しとしてお祭り騒ぎへと発展した。

 

このことは、台湾の東森新聞台(中国語版)やイギリスの『タイムズ』紙などで、ニュースとして取り上げられて大きな話題となったのです。鬼に対するイメージが日本と中国では違うということなのです。

 

それでは、改めて「魂」とは何か?
ある辞書によると、「魂とは、死しても残る心である」とあり、また別の辞書では、「鬼(死者の霊)が云(めぐる)という語源を元に、休まずにめぐる霊魂」とも書かれていた。

「たましい」とは、人の心の思いを重ねた[思惟(しい)]が玉型になっているものではないのでしょうか(玉思惟では?)。以前、私のグログ「心は折れるのか?」で書きましたが、心は球のようなものであると言いました。同様に、魂も球のような形をしているのではないでしょうか。

 

太陽のような光輝く魂、地球のような美しい魂、大きさの大小はあれ、それぞれが自分の表情を持っているのです。球体のなかからオーラを放っている魂や今はくすんで見える魂もあるでしょう。今生に生まれてこの地球で修行をしながら魂を磨いていくことが大切なことなのです。

 

あの世に行って、魂を磨こうとしても肉体がないので(思いはありますが)この世の1/10程度しか効果がありません。だから、この世の困難や苦難に打ち勝って修行を積むことは大変価値があることなのです。この世にいる間に魂を磨き、成果を上げましょう、ということです。

 

人が亡くなってあの世に還った場合、魂は肉体とほとんど同じ姿をしています。だから、あの世に還っても親や友人と迷わずに会えるのです。そして、地上にいた時の好きな年齢でいることも可能なのです。

 

しかしながら、本来の魂はエネルギーの塊なのです。高級霊になればなるほど人間の姿というものに固執せずに、エネルギーの塊として、慈悲や智慧や愛などが込められているのです。もちろん、他の魂と会う時には分かる姿でお見えになることはあの世では容易なことなのです。

 

私たちの魂は生きどおしです。生まれ変わった回数で魂の大きさも変り、色合いも違うかと思いますが、それぞれが自分の色合いを出して、輝くことが一番大切なことではないでしょうか。

 

---owari---

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6 コメント

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Unknown (たこすけ)
2019-10-13 09:11:56
魂は汚れて産まれる物なんじゃないですか?今はそれを清めるためにあるんじゃないですか?
魂が輝こうとしてるのか、心が輝こうとしてるのか、人がなんのために生きるのか。僕の答えは、和です。今を共有して、ドキドキワクワクするのが大事かとおもいます。
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こんにちは (このゆびとまれ!です)
2019-10-16 14:20:36
たこすけさんへ

コメントをいただき、有難うございます。
確かに、この世には、本当に、いろいろな人がいます。過去世で天使だった人もいれば、過去世において大勢の人を殺し、死後、地獄界に行ったけれども、何とかあの世で修行が進んで、もう一回生まれ変わってもよいところまで心境が上がり、今回、生まれてきている人もいます。

そのような人たちが、いろいろなところで一緒になり、仕事をしたり、学校で勉強したりしているのです。そういう意味では、「玉石混交の世界」がこの世なのです。

天上界や地獄界では、それぞれ違うところにいて、絶対に会わない人たちが、この世では一堂に会することができます。その意味においては、いろいろな人々と出会って魂を磨けるようになっています。この世では、そういう機会が与えられているのです。

たこすけさんが、「人がなんのために生きるのか。僕の答えは、和です。今を共有して、ドキドキワクワクするのが大事かとおもいます」とのご意見は大いに賛同いたします。
返信する
 魂  (もののはじめのiina)
2020-04-22 09:53:08
>『魂(コン)』の漢字の構成は、云(もやもや)+鬼(死んだ人・霊)=魂(もやもやした人間の霊)となります。漢字の部首は『鬼・おに、きにょう』、漢字の意味は、『魂(たましい)』です。
『魂』のご考察を面白く拝読しました。

拙宅では、「鬼」のスタイルが 牛の角にトラのパンツなのを調べてみました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/cc53840154195f1c52eb3961ed4a2a1d

>「モノ」は怨恨を持った霊=怨霊
古代に石上神宮を累代奉祀してきた物部氏が行う「魂振り」と「魂鎮め」から何ごとかありそうな『出雲大社』へ参ります。
更には、サムライの「もののふ」に迫ります。

ハイ、拙宅が「もののはじめ」にこだわった名にしたイワレでもあります。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/feaf9ce737a77f269f24ef6582ba0022

おじゃまいたしました。

返信する
はじめまして (このゆびとまれ!です)
2020-04-22 17:10:31
もののはじめのiinaさんへ

コメント有難うございます。
ブログを少し拝見させていただきました。
とても博識であり、読みごたえがありました。
ウイットに富んでいるところもあり、うなずく記事が多いです。

「鬼のスタイルが 牛の角にトラのパンツ」のお話し、面白かったです。
「丑みつ時」のお話しも興味深かったです。よく分かりました。
それから、「サムライ」がなぜ「もののふ」と呼ばれているのかも、とても納得しました。

また、ご訪問させていただきます。
返信する
マルテンサイト千年ものづくりイノベーション (サムライグローバル鉄の道)
2024-08-19 10:06:34
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
返信する
こんにちは (このゆびとまれ!です)
2024-08-20 18:57:42
サムライグローバル鉄の道さんへ

ご訪問有難うございました。
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