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日本よ「意」の再興を

2018年03月17日 | 日本

以前からのお話で、日本にはたいへんな底力があることが、わかっていただけたと思う。

では、その課題は何だろうか。

根本的に言えば、「意」の再興である。

 

英語を使っていると「知」が劣化する。中国語を使っていると「情」が劣化する。日本語を使っていると「意」が劣化する、とすでに述べた。「意」は「やるぞ、負けないぞ」という意欲、スピリットのことである。

 

昔の教育は「知」「情」「意」の三拍子そろった人間をつくることが目的だった。「知」は客観的な知識を勉強してインテリになりなさい。「情」は人情細やかな、人の気持ちがわかる人間になりなさい。「意」は、自分はこれをやるぞという主体的な意欲で、それが長く続くと意志――を持った人間になる、ということである。

 

「知、情、意、三拍子そろった人間をつくることが教育だ」と昔は言っていた。

ところが、戦後は「知」だけで、知識の詰め込み教育になった。しかもそれを数字やデータにしたので競争が過熱した。少し行きすぎたと最近は「情」のことも言うようになったが、未だに抜けているのが「意」である。

 

筆記試験だけで選抜したり採用したりすると「知」の人ばかりになる。こういう人は人情がわからないし、やる気がない。ひたすら上の言うとおりに働く。仕事はマニュアルに頼ってする。発言することはマニュアルの矛盾や手続き上の不備を指摘することばかり。

 

いろいろ理屈を言うが、それはすべて自分の仕事を少なくする方向にピントが合っている・・・・・というので、もうそんな人は結構だ、会社を危うくする、国を危うくする、と「意」の重要性をみんなが感じるようになってきた。

 

国民意識はすでに大きな変化をしている。

実際、政治家の人気を見れば、自分の言葉で遠慮なく発言する人に人気が集まっている。

 

日本にとって目前の問題はいろいろある。たとえば北朝鮮はどうやら核爆弾を持っているらしい。三発、四発と増えて実戦配備されていく。日本はそれにどう対抗するのかを外務省は考えているのか。政治家はどうか。防衛省の人は考えているのか・・・・・というと心もとないところがある。

 

問題は、日本はどうするかで、それがこの問題の根本である。

「アメリカはどうする、中国はどうする」と、そんな予測を器用にしゃべってくれる人は多いが、「日本はどうする」というのが出てこない。

 

本当は、「日本はどうする」ということこそ、自分で覚悟して決めるだけなのだから一番簡単な話である。ところが、それが抜けているのは「意」が消滅した人ばかりが集っているからで、これは国家的な悲劇である。

 

かねてより「北朝鮮問題ぐらいは、誰にも頼まず日本の自衛隊だけで単独処理できる。あるいは、自衛隊でなくても、ありとあらゆる日本が持っている力を総動員すれば簡単だ」と思っていた。

しかし、多くの人は「そうですね。だけど、そんなこと口にして大丈夫ですか」と、腰が引ける。「単独とは思い切っていますね」とも言う。他人事のような感想を並べているとは人間が自立していない。

 

何事もある程度から先は断定せざるをえないのだが、「そんな断定していいのですか」と言う。学者は迂遠なことを言ってもよいが、この問題は現実に目の前に災害が迫っているのだから、日本人は何かを断定しなければ仕方がない。

 

もちろん予測や推測や計算やシナリオは外れることが多いが、しかし幅広くたくさん想定しておけば、軌道修正ができる。外れることを恐れて腰が引けては、現実に対応することも、その途中の軌道修正もできない。

 

壁があるなら乗り越えて向こうをのぞけばいい。無理やりにでも向こう側へ行って、向こう側からこっちを見る。振り返って今を見る。すると新しい発見がある。いっそう視界が開けてくる。未来が見えてくるものである。

 

---owari---

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