人口1200万人を飲み込む東京は、文字通り世界一の大都市だ。そして、東京の前身である江戸も、当時すでに人口100万人を擁する世界一の大都市だった。
1721年頃には江戸の人口は110万人に達したと推定されている。当時、ヨーロッパ最大都市ロンドンでは約70万人、パリで50万人、中国北京でも70万人と言われており、江戸は最たる大都市だったのである。
また江戸時代の日本は、江戸に限らずかなり都市化が進んだ国だった。江戸に大坂、京都を加えて三都という言い方もあったほどで、ほかにも数十万、数万の都市が各地に存在した。その点、ヨーロッパは人口1万人を超すのは例外で、ほとんど数千人程度の小都市の集合体だったのです。
少し時代を遡るが、慶長年間(1596~1615)に訪れたスペイン人のロドリゴは、都市の規模、秩序と清潔さで、ヨーロッパに勝っていると驚嘆している。これはそれ以降、幕末までに訪日した外国人の共通の印象だったようだ。
つまり、ヨーロッパでは、巨大な人口を収容する都市機能が未発達だったといえる。その点、江戸時代の日本は、抜群の都市機能を有していたのである。
それだけに、江戸の人口の流入と周辺農村の過疎化の問題は深刻化していた。江戸に近い常陸、下野などでは人家が減り田畑の荒廃が進んでいたという。一方江戸では、「尺寸の隙間なく家屋立ち並び、地面も高料になりて」(『世事見聞録』)と高い人口密度と地価高騰の弊害が出てきていた。
とくに江戸の人口密度は凄まじかった。当時の江戸の人口は武家と町人がともに52~3万人、無宿者数万人という内訳。それに対し、江戸市中の土地利用状況は幕府・大名、武家で65パーセントを占め、寺社が15パーセント。町人は20パーセントを利用するだけだった。
約半分の人口がわずか20パーセントの土地に住んでいたことになる。実に1平方キロメートル当たりの人口密度は6万~7万人。6畳一間に5~6人という過密さだ。
こうした住環境にもかかわらず、ヨーロッパの都市に比べ、江戸は極めて清潔さが保たれた町だった。江戸には欧米人に「奇跡の大都市」と驚嘆されるに十分な*優れた都市機能を保有していたのである。
*優れた都市機能:食糧の供給システム、上水道の完成、汚水の処理システム、糞尿のリサイクルシステムなど
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます