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あなたの「人間観」と「善悪観」を分析(前編)

2020年08月02日 | 人生
(「性善説」と「性悪説」、それぞれの人間観)
人間についての見方として、一つには、「性悪説」というものがあります。「人間は、もともと悪を犯(おか)す素質を持っている。放っておいて、自然状態に置けば、悪を犯すのだ。自然状態に置けば、人間はすぐに戦争をして人を殺したりするものだから、それに対して、戒(いまし)めを乗せて、悪を犯させないようにしなければいけない」という見方です。

一方、「性善説」というものもあります。「人間はもともと、よいものとしてできている。赤ちゃんのなかには、将来、お坊さんになる人も大泥棒になる人もいるかもしれないけれど、赤ちゃんの時代は、それほど大きく変わらない。みな、素直で天真爛漫(てんしんらんまん)だ。それが、育っていく過程の環境や、さまざまな人からの影響で、悪くなったりすることがあるのだ」というような、「人間の本性(ほんしょう)は、もともと善である」という考え方もあるわけです。

(東洋思想の儒教の「性善説」と、それに対する「性悪説」)
儒教(じゅきょう)で言えば、孔子(こうし)、孟子(もうし)と続きますけれども、孟子の教えなどは性善説です。例えば、「子供が井戸に落ちようとしている、あるいは落ちてしまった場合、善人だけが、その子供を助けようとするだろうか。いや、そうではないだろう」といったことを言っています。

戦場で人を殺したり、仕事として、暴力団ややくざのような仕事をしていて、この世的には悪の行為をやっている人であっても、井戸端にいる子供が、井戸のなかに落ち込もうとしていたり、実際に落ちてしまって、「助けてーっ」と叫んだりしているのを知れば、その子供を助けようとするでしょう。

あるいは、池に落ちた子供がいたら、この世における法律的な善人、悪人といった判断は別にして、やはり、誰でも、「助けたい」という気持ちは本能的に持っているでしょう。

これをもって、性善説を唱(とな)えるわけです。
「本来、人間の本性は善なのだ。それが、さまざまな事情によって、心が歪(ゆが)んできて、悪と分類されるようになる。ただ、これは善導していけば、だんだんよくなっていくのだ」というものの考え方です。

これに対して、性悪説のように、「人間はもともと悪を犯すものなのだから、厳しくしつけなければいけない、教えなければいけない。ときには刑務所に入れたり、刑罰(けいばつ)を与えたりすることで善導しないと、分からないのだ。自分が痛い目に遭(あ)わないかぎり、ほかの人のことなどは考えもしないのだ」という考え方もあり、実は、両方の考え方が混在しているのだろうと思います。

---owari---
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