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「個々の感情」と「ルール」と「善悪」を分析(後編)

2020年08月01日 | 人生
(動物の集団にもルールがある)
動物でも、集団生活をしているものはいるので、そのなかには、人間ほどではないにしても、多少なりともルールがないわけではありません。

例えば、動物園の猿山(さるやま)に行けば、「ボス猿」というのは必ずいて、ボス猿の命令に従わなければ激しく攻撃を受けます。ボス猿の命令をきかない猿に対しては、ほかの猿も一斉に、みんなでやっつけるようなことも起きるのです。

また、シマウマなどであれば、そう強くないので、ライオンやコヨーテ等に狙(ねら)われたときには、「集団で身を護る」というルールを覚えます。集団で逃げたり、場合によってはみんなで円陣を組んで後ろ足で蹴(け)ったりすることもあります。

このように、動物にも、生活の上で一定のルールが存在する場合があります。

(「人間の集団」と「動物の集団」の違い)
人間は、まだ年齢が低いうちは動物と同じようなところもありますが、人間の生活は、だんだん動物より複雑になってきます。

例えば、「今日はお昼の弁当を持ってくるのを忘れた。でも、お昼になったらお腹が空いて、隣の子の弁当がおいしそうだったので、自分は食べたかったから、それを取って食べた」としましょう。

すると、当然ながら、取られたほうも怒りますし、周りの人も怒ります。
しかし、先ほど述べたような本能の延長線上にいる人は、何が悪いか分かりません。「自分はお腹が空いていて、食べたい弁当があるんだから、食べてもいいじゃないか」などと思うわけです。

実際、動物の世界では、おそらくそうでしょう。「ほかの動物が目を離(はな)した隙(すき)に、食料を取って食べる」といったことは、いくらでも行われています。取られたほうが、怒(おこ)って追いかけるのは同じですが。

要するに、人間と動物の違いは、「許可なく、他人のものを取って食べてはいけない」ということを、ルールとして教わるところです。なぜなら、取ったほうはそれでよいかもしれないけれども、弁当を取られて食べられたほうは怒るし、悲しむからです。

「弁当をたくさん持ってきすぎたので、分けてあげる」と言っている場合は別ですが、そうでなければ、勝手に取ってはいけないとわけです。

人間の世界では、そういったルールが増えてきます。
自分にとってはよいことでも、他人が、それによって損をする場合には、なかなか許されないことが多くなってくるでしょう。

それが一対一の場合は単なる喧嘩(けんか)になりますが、他の多数の人が見ていて、「それは、弁当を取ったほうが悪い」と思えば、それについて、いろいろと非難を受けることになり、集団でそう思うのであれば、「悪」と判断されるようになります。

ところが、両親もいなくてお腹を空かせた子供が、どうしても我慢(がまん)できなくなり、例えば、パン屋の売れ残ったものなどを失敬(しっけい)して、食べてしまうといった場合には、判断が分かれることもあります。

その行為自体は泥棒(どろぼう)かもしれないけれども、周りの人が見て、「この子は、もう何日も食べていないから、このくらいは許してあげたほうがいいのではないか」ということもあるでしょう。

そうすると、先ほど述べた「善悪の基準」が変わってくる場合もあります。
集団になってくると、こういったことをみんなで考えるようになってきて、「どのようにしたら、世の中がうまくいくか」という考えになるわけです。

---owari---
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