散らかり放題の家に育った子は、それを当たり前だと思って育ちます。そういう子が親になれば、その家庭は乱雑になり、また孫も同じように育っていきます。乱雑な環境を何とも思わないという感性は、こうして次世代に引き継がれていくのです。
逆に、美しく整理整頓(せいとん)された家庭に育った子供は、それを当然だと感じる感性を身につけます。その感性が、家庭を整え、それが孫の世代に伝播(でんぱ)していく。
このように、美しい自然を尊ぶ感性が、美しい自然をつくり、それがまた次世代において、美しい自然を尊ぶ感性を育てていく、という形で、世代を超えて国土と感性が継承されていくのでしょう。民族の文化的個性とは、こうして形成されていくものだと考えられます。
日本という国の最も誇るべき点を一言で表せば、「世界有数の緑豊かな国土に世界有数の近代産業を築いた国である」と言えるでしょう。そしてそれを実現してきた原動力は「和を以て貴しとなす」という倫理観、「生きとし生けるもの」を尊ぶという自然観を共有する日本人の文化的個性なのです。
我々、一人ひとりの人間は表面的には個々の肉体を持った別個の存在のように見えますが、実は心の深いところで、日本人としての倫理観や自然観という「見えない根っこ」でつながっているのです。
おそらくはさらにその「見えない根っこ」の最深部には、人類として共通する心があるのでしょう。どこの国の人でもモーツァルトの音楽に心動かされたりするのは、そのためです。自然の美を愛(め)でる感情も、人類共通のものとして、人間の心の最深部にあるのでしょう。
しかし、そこから美しい国土を大切にする「根っこ」を太く逞(たくま)しく育ててきた民族と、その「根っこ」が未発達のまま、自然を犠牲にしてきた民族とがあります。
このような形で、人類共通の土壌から、各民族がその歴史を通じて、様々な文化的個性を備えた「根っこ」を育てているのです。
---owari---
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