(「黄泉(よみ)の国」の神話の真相について)
邪気を祓うというか、正邪を分ける考え方のもとになったのが、伊邪那岐(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)神話です。
伊邪那岐・伊邪那美は、夫婦神(ふうふしん)で夫婦神(めおとしん)として神々をたくさん生み、国土を生んだのですが、「伊邪那美は、火の神を出産したときに、火傷をして死んだ」ということで、黄泉の国に行きました。
伊邪那岐は、やはり、夫婦の情愛があるので、黄泉の国に行った妻に会いたくて訪ねていったのですが、行ってみたら「少し待ってください」と言われて、洞窟の暗闇のなかで待たされました。
そして、「絶対に見ては駄目だ」と言われていたのですが、日本の民話によくあるタブーのように、「見てはいけない」と言われたら見たくなって、火をつけて覗いてみたところ、周りはもう、「ハムナプトラ」(1999年公開のアメリカ映画)の世界のように、骨になった死骸があり、ムカデなど気持ちの悪い生き物がたくさんいたのです。
そして、肉も溶け、髪も抜けてバラバラになったような伊邪那美の姿を見てしまった伊邪那岐は、「うわっ!大変なものを見てしまった」ということで、びっくりします。
そのため、妻の伊邪那美が、「見たなあ、よくも見たなあ」ということで、ダーッと追いかけてきたので伊邪那岐は逃げたという、恐怖の怪談の始まりのような話です。
これは昔の話なのでよく分かりませんが、黄泉の国に当たるのは、おそらく島根県あたりだと思うのです。伊邪那岐は、そこから美作、つまり岡山県ぐらいまで逃げてきたようです。
伊邪那岐がどのように逃げたのかは知りませんが、途中でいろいろなものを投げながら逃げたところ、追っ手のほうは欲があるため、それを食べてしまうので、食べている間に時間を稼いで逃げたというのです。
岡山県あたりでは、桃を投げたら、桃もおいしいので食べてしまうというようなことでした。「桃は邪気祓いの力がある」という伝説にはなっています。
確かに、桃ジュースを飲むと、ちょっと“光が出てくる”ような感じもあるので、邪気祓いの効果はあります。糖分があるので、おそらく脳のほうの力が出てくるのだと思います。脳に糖分が入ると頭がシャンとしてきます。
しかし、脳が疲れていると悪霊等にやられやすいので、そういった栄養補給というのも大事なのです。昔話の「桃太郎」も、このような話と関係しているのだろうとは思います。
ともあれ、伊邪那岐は岡山県あたりまで逃げたあと、九州まで戻っています。船に乗ったかどうかは分かりませんが、九州に戻り、日向、つまり今の宮崎県まで帰ってくるのです。
宮崎県には、私も見に行ったことがあるのですが、「禊祓(みそぎはら)いをした池」がきちんと残っています。「伊邪那岐が黄泉の国に行って、穢(けが)れをたくさん付けてきたというので、そこで体を洗っているうちに、洗う部所によっていろいろな神が出てきた」という話があります。
その池で左目を洗うと天照大神が生まれ、右目を洗うと月読命(つくよみのみこと)が生まれ、鼻を洗うと須佐之男命(すさのおのみこと)が生まれました。そのように、「三貴神(さんきしん)」が生まれ、「体の他の部分を洗っている間にも十人ぐらい神様が生まれた」ということなので、男の神様が十三人ぐらいも子供を産んだことになります。
ただ、これは、実際上はありえないので、おそらくは、伊邪那岐が宮崎県に帰ってきて、日南海岸あたりの豪族にお世話になり、娘でももらって子供が生まれたのだろうと推定されます。数から見れば、相手も一人ではなかったかもしれません。三人を産んだ人と、ほかの人とがいたのではないかと思いますが、そのあたりが日本神話の始まりの話としてはあります。
なお、話が日南海岸あたりから始まっているので、天照大神も光が強いのを見て育ったのかもしれませんけれども、そういう「日の神」でもあるという考えなのです。
日本には、だいたい、このような考えがあります。――この章は終わりです。
---owari---
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