「人よ、愛ある時を生きよ」と、
われは、常々、説きつづけてきたものである。
あなたがたは、愛のうちに生きなければならない。
あなたがたは、愛と共に生きなければならない。
あなたがたは、
愛のなかに光を見、
愛のなかに希望を見、
愛のなかに夢を見、
愛のなかに駆け抜け、
愛のなかに、人生の旅路を終えるときを迎え、
そして、愛のなかに死ぬ。
それが、あなたがた人間の人生ではないだろうか。
そう、愛ということを、
一つの花の如く、私はたとえてもみたい。
その花は、情熱だ。
その花は、勇気だ。
その花は、絢爛である。
その花は、たとえようもなく香しい匂いをたたえている。
あなたがたは、
人生を一輪の花として見立ててみる勇気を、
持ち合わせていないだろうか。
人生を一輪の花として見立てた場合に、
さて、いかなる花が、あなたの人生にふさわしいであろうか。
心して、みずからの人生を語れ。
心して、みずからの人生を光らせよ。
心して、みずからの人生を香しきものとせよ。
あなたがたの人生を、愛の生涯とせよ。
愛の生涯は、素晴らしき生涯である。
みずからの人生を、愛に満ちたものとせよ。
それはそれは素晴らしきものとなるであろう。
愛に満てる生涯、それは情熱に裏打ちされている。
情熱とは、いったい何であるか。
情熱とは、
この世のなかに光を見いだしてゆく行為であるのだ。
この世のなかに希望を見いだしてゆく行為であるのだ。
情熱とは、
一人の可憐な少女のなかに、
たぐいまれなる理想を発見し、
一人のたくましい青年のなかに、
人類の未来を見ることをいうのだ。
情熱とは、
人の善性に限りない期待をかけることをいうのだ。
情熱とは、
仏が、その心を、
この地上に、いつの時代も表されているということを、
信じることでもあるのだ。
そうだ、情熱こそ素晴らしい。
情熱は、人間が生きていく上で、
どうしても不可欠のものであるのだ。
「愛は情熱に裏打ちされている」、
そう私は語った。
あなたがたの多くに問いたい、
情熱ある人生を生きているかを。
あなたがたのなかに、いかほどの情熱があるかを。
「かつてあった」と言う人もあるであろう。
いま、みずからが情熱なき生き方をしていることを、
みずからの年齢のせいにする人もあるであろう。
「生活に疲れた」と言う人もあるであろう。
「そんな”昔話“を、いまさら私に問いかけないでくれ」と
言う人もあるであろう。
「人生の黄昏が迫ってきたそのときに、
情熱の話など、もはや聞きたくない」と、
顔を背けてしまう人もあるであろう。
しかし、私は言うのだ。
情熱とは若さに伴うものであるが、
若さとは年齢だけのことではない。
情熱を追いかけるかぎり、
情熱を追いつづけるかぎり、
若さがあなたのなかから過ぎ去ってゆくことはない。
若さの輝きが、あなたの額から、その光を失うことはない。
若さの王冠が、あなたの頭上から消えることはないのだ。
ゆえに、あなたがた一人ひとりに言おう。
情熱を大切にせよ。
情熱を大切にせよ。
情熱とは、
まだまだ未知なるものがあるということを信じることなのだ。
情熱とは、
未知なるもののなかに理想を見いだそうとする努力なのだ。
(仏法真理)
---owari---
『このゆびと~まれ』という題名にひかれました。
でも、内容的には、私には、ちょっと難しい点もあります。
もちろん、愛することの気高さや、人の幸せをねがうことの大切さについては、よくわかります。
非常に、教えられるブログだと思います。
拝読して、真実の言葉がつづられており、清く快い印象をうけました。
これからも、良いブログを御願いします。
ブログご訪問有難うございます。
身に余るコメントをいただき、勇気百倍です。
舞花さんのようにいつか認めてもらえる浜辺の灯台でありたいと願っています。
ちっぽけな灯台ですが、皆様の心の指針にしていただければ、本望です。
これからもご愛読よろしくお願いします。