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「他人の幸福と不幸のどちらを願うか」が人間の方向を決める

2017年06月15日 | 人生

死んで浮かばれていない人、例えば、交通事故で亡くなったり、急な病気で亡くなったりして迷っている人の霊が出てくるのは、よくあることであり、おかしくも何ともないのです。ただ、その奥にあって、そういう霊たちを地獄に引きずり込もうとしたり、あるいは、そういう霊たちを、ある家庭に解き放ち、その家庭をもっと不幸にし、目茶苦茶にしようとしたりする霊人がいます。

 

そういうことを本当に計画的に考え、後ろから操っている霊人がいるのです。

こういう者と対決することもありますが、やはり、許しがたいものがあります。

自分一人が不幸であることについては、多少、受け止めなくてはいけない面はあるかもしれませんが、自分が幸福になれないときに、せめて、他人を不幸にし、それをあざ笑って快感を味わおうとする人が、世の中にはいるのです。

 

それは、例えば、自分はお金儲けに成功しなかったけれども、他人がお金儲けに失敗したり、破産や倒産をしたら、「ざまを見ろ」と言って喜ぶ人です。あるいは、自分の病気が治らないときに、隣の誰それさんがガンになって死んだと聞いて、「ざまを見ろ」と思う人です。

 

そのように、他人の不幸を見たら、胸がスッとしたり、「許せる」という気分になったりする人は、やはりいると思うのです。

 

ただ、「これは人間として考えて、やはり最低の心だ」ということを知らなくてはいけないと思います。

 

環境や政治制度、周りの影響によって、自分が幸福になれないこともありますし、たまたま家庭に恵まれないこともありますが、自分が恵まれないこと、あるいは、現在、幸福感を得られないことには、何らかの理由があることもあります。

 

そういうことも、やはり、よく考えるべきです。それをもって、「ほかの人の不幸を願う心」のほうに向っていくようであったら、これは、いわゆる「悪霊」や「悪魔」の気持ちに通じていくものなのです。そのことを知らなくてはいけません。

 

原理は簡単なのです。それほど大きく難しいものではありません。

「他人様の幸福を願う方向」で考えているか。「他人様の不幸を願う方向」で考えているか。どちらを願うかが人間の方向を決めるのです。

 

もっと簡単に言えば、他人の幸福を願いながら数十年の人生を生きた人たちは、基本的に、天国という世界に還ることになっています。

 

あの世の天使や菩薩たちも、そういう人が亡くなったら、きちんと「お迎え」に来て、行くべき所へ連れていってくれます。

 

ところが、生きているときに、何か他人の不幸を願っていて、実際に、それに加担するというか、悪霊や悪魔たちがやっていることを、この世に生きながら、一緒になって行っている人がいます。

 

例えば、いじめです。周りが何人かでいじめをやっているときに、「そんなことをやってはいけない」と思いつつも、自分も参加することで快感を得たりする人がいます。あるいは、「いじめに参加することで、自分がいじめられなくなる」と思い、いじめっ子グループのなかに入ることで身を護ろうとする、卑怯な心を持って生きている人もいます。

 

どちらも同じであり、やはり、他人の不幸を願う方向に引っ張られていきます。善悪といっても、基本的には、そういうことです。

 

ほかの人の幸福のほうを選ぼうとするか。ほかの人を幸福にするように、自分の人生をつくり上げていきたいか。そういう人生を生きたいか。そういう仕事をしていきたいか。それとも、反対に、他人様の不幸を願う方向で生きたいか。この二つに大きく分かれます。

 

細かくは、それぞれのケース分けがいろいろとあると思いますが、基本的には、そういうことなのです。

 

「世の中を悪くしよう」とか、「他人を不幸にしよう」とか、そのような気持ちになり、「それが当たり前なのだから」と思い、そちらだけで行ってしまっては駄目です。

 

人間の持っている動物性というか、動物的本能としては、当然、自分の身を護り、ほかの人を蹴落としたり、そういうことを思ったりします。

 

動物は、みな、「食べられる恐怖」でいっぱいです。「食べられる恐怖」と「飢え死にする恐怖」が、動物たちの持っている基本的な恐怖です。この二つから逃れることは、ほぼできません。一生、「飢える恐怖」と「食べられる恐怖」「殺される恐怖」でいっぱいなのです。

 

それが人間世界でも広がりつつあるわけです。

しかし、私たちは、もう一段高度な存在として、やはり、善悪の観念をはっきりと持たなければいけないのです。

 

善悪は、個別具体的には難しいものがあり、何とも言えないところはありますが、大きく言えば、前述したように、「他の人々をその方向で引っ張っていくことが、他の人々を幸福にするのか、不幸にするのか、それをよく考えて生きなさい」ということです。原点はここにあるのです。 

 

---owari---

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2 コメント

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善悪 (舞花(まいか)☆)
2017-06-16 21:35:17
拝読して、いろいろ考えさせられました。
他人を幸福にすることが、結局、自分を幸福に導くことなんですね。。。
でも、そのことに気付いている人は少ないですね。
なんか、悲しくなります。
返信する
こんにちは (このゆびとーまれ!です)
2017-06-17 15:14:18
舞花さんへ

コメント有難うございます。
舞花さんはとても真剣に人生と向き合っておられますね。

気付いていただくことが私の本望です。
一人が二人になり、三人四人と増えることで確実に世界はよくなっていくと信じています。
返信する

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