このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

小池都知事の「グリーン」にひそむ危険性

2017年06月11日 | 政治・経済

昨年の夏に小池百合子新都知事が登場しました。290万票も取って、自民・公明推薦の候補を破り、圧勝しましたが、”マスコミの風“に上手に乗ったように思われます。

 

今、小池さんは、小池塾のようなものをつくり、政治家希望の人だけでなく、現職の政治家も含めて集め、活動しています。

 

小池さんを応援した自民党の議員、特に区議会議員が下村博文氏(自民党東京都連会長)によって除名されたりもしているので、その”意趣返し“としての戦いが始まるのではないかという感じがします。

 

ただ、そうした個人的な戦いのために政党をつくり、国政を揺さぶったりするのは、やってほしくないと思っています。

 

自民党の都連は、小池知事からすれば”野党に見える“のでしょう。つまり、「自分の与党が欲しい」ということで、「新しい政党をつくりたい」という気持ちがあるのだと思います。ただ、それには素直には”乗れない”気持ちがあるのです。

 

その理由の一つが、彼女の昨年の夏以降の仕事ぶりです。それを見ると、「小池さんには経営感覚がないのではないか」ということが感じられるのです。

 

例えば、「築地市場の豊洲移転の問題」があります。実際、豊洲には、築地の市場が移転できるようにほぼ完成していますし、住宅として、マンション類もそうとう建っています。また、そこに行くための高速道路もかなりの部分ができており、あとはつなぐばかりのところまで完成しているのです。

 

ところが、小池知事は、この現状を見てストップをかけ、移転に対して否定的なことを言いながら脚光を浴びるというスタイルを取っています。こうした政権運営というか、マスコミ操縦で人気を取るやり方というのは非常に危険だと思いますし、彼女の政治手腕のなかに、大きな弱点があることを感じるのです。

 

また、都知事選挙のときに、小池陣営は、「緑の色のものを持ってきてください」というような運動をしていましたが、緑、グリーンは「環境」を意味します。そして、保守の側にいたとしても、あまり「環境問題」について言う人というのは、基本的に左翼と同じ考えを持つ傾向が強いのです。

 

つまり、開発や発展に対しては、マイナスの考え方を持つ傾向が非常に強くて、「緑の党」のような感じになると、だいたい「開発反対」になってきます。その結果、映画「平成狸合戦ぽんぽこ」風に、団地建設反対の狸や狐が暴れるような感じの運動になってくるわけです。

 

もちろん、それも護らなければいけないとは思いつつも、やはり、限度というものがあるのではないでしょうか。

 

やはり、豊洲の市場をあそこまでつくり、高速道路も途中までつくっておきながら、ここで中止したり先延ばしにしたりするのは問題だと思います。それは、民主党(現・民進党)政権ができ、鳩山(由紀夫)首相のときに、七割がたできているダム(八ッ場ダム)の建設を「中止する」と言ったことと同じでしょう。

 

水没することになる町の住民をすべて高台に引っ越しさせたりして進めていたダムの建設工事を、中止すると費用がもっとかかるにもかかわらず、止めてしまいました。

 

ところが、その後、東日本大震災によって原子力発電の危機の問題が起きたわけですから、水力発電を止めたことに正当性はまったくなかったと思われます。

 

日本のエネルギー政策が非常に複雑になってきたため、日本人の「核アレルギー」をうまく利用して、「原発でつくったエネルギーは買いたくない」というような左翼運動も起き始めているのではないでしょうか。

 

このように、気をつけないと「環境問題」も左翼運動と一体化してくるのです。

あるいは、「社会福祉」もそうでしょう。現代的には、共産主義や社会主義という考え方が“かっこ悪い”ので、保守の側では、「社会福祉」という言葉で、その分を黙らせようとしています。

 

つまり、年金や老後の問題、医療問題に全部すり替えて、実際上、共産主義、社会主義がやろうとしていることをやり、その不満分子を吸収するようにしているわけです。

 

そして、そのもう一本の流れが「環境保護」なのです。

今、「環境左翼」といわれる人たちが、開発を邪魔するなど、いろいろなことをして近代化・発展を遅らせ、さらには、投資したお金を無駄にして焦げ付かせています。

 

そうなると、ある程度まで開発していながら、ペンペン草が生えているような状態がずっと続くわけです。あるいは、ある程度まで、いろいろなものをつくりながら、途中で資金が切れたり、やる気がなくなったりするようなことがたくさん出てくるということでしょう。

 

確かに、小池知事は、「マスコミはどのようにしたら反応するか」ということについてはよくご存じのようではあります。しかし、「国家経営」ならぬ「東京都経営」においても、けっこう厳しいものがあるのではないかと思うのです。

 

それでは、この点において、前東京都知事の舛添(要一)氏の手腕は、どうだったのでしょうか。

 

彼は、個人的には、公務員的な考え方で、「領収書を取って経費で落とせば、自分の収入を使わないでもやれる」というようなことを、せこくやったかもしれません。それを「みっともない」と見るかどうかという問題はあるでしょう。ただ、都知事として、政治に関しては、やるべきことをやっていたと思うのです。

 

その意味で、「昨年(2016年)の夏に騒いで、彼を無理やり引きずり降ろしたのは、本当によかったのかどうか」ということについては、大きな疑問があります。

 

おそらく、都知事が舛添氏のままであれば、築地市場の豊洲移転もできたであろうし、“オリンピック道路”も開通して、経済的にはさらに活性化することができたでしょう。ところが、今は、どっちつかずの中途半端な状態になっているため、私は大きな疑問を感じているのです。

 

したがって、小池新党(都民ファーストの会)のようなものをマスコミが焚きつけ、政局を大きく揺さぶるようになることは望ましいことではないと、私は思っています。

 

昨年は映画「シン・ゴジラ」も流行りましたが、そうした環境左翼的なものは、非常にマスコミ受けしやすいのです。しかし、環境左翼については基本的に、考えのない人たちの動きだと思ってよいでしょう。

 

結局、彼らは恐怖心を煽っているのであり、その恐怖心のほとんどは、「自分の人体に関する恐怖心」なのです。

 

もちろん、そうした「人体に関する恐怖心」には、一部、正当なものもあるかもしれません。ただ、その根底には、ある種の「唯物論」があるのではないでしょうか。要するに、唯物論があるために、この世的な生命の安全というか、自己保存の考え方が正当化されるわけです。そうした思想が環境左翼なのではないかと思います。

 

しかし、もしも自然のままがよいのであれば、「近代化は、全部間違い」ということになりかねません。そうなると、「江戸時代がよかったのか、平安時代がよかったのか、もっと古代の、奈良の石舞台古墳の時代がよかったのか」ということにもなりますが、おそらく、そういうわけではないでしょう。

 

奈良には「石舞台古墳」という古墳があって、大きな石で囲ってあります。それは、お墓なのかもしれませんが、今、「マンションの代わりにあそこに住め」と言われたら、どんなお金持ちでも嫌がるはずです。ただ、昔は、あれでも威勢を誇っていたのだと思います。

 

いずれにせよ、環境左翼もほどほどにしなければいけないところはあるのではないでしょうか。

例えば、今も成田空港には、一坪地主のようなものが残っていて、まだ立て札が掛かっているのを見かけますが、私は、そういう意味での公共心のない人たちはあまり好きではありません。

 

もちろん、一坪を買い占め、売らずに頑張って反対するのは結構ですが、もし、自分が海外へ行くとき成田空港を使っているのであれば、許せないと思います。そのような偽善者を許すことはできません。やはり、「環境に優しい」という言葉を、すべてに通用する万能手形のように考えるのは問題ではないでしょうか。

 

その意味で、小池知事の問題は、「環境」を言いすぎるところです。そして、実は「マネジメントの思想」「経営の思想」が抜けているのではないかということも気になります。

 

ただ、これは安倍首相に足りないものと、ある意味では同じなのかもしれません。彼はお金をいじろうとしますが、そこに倫理観がないのが欠点です。

それと同様なことが、小池知事のほうにも言えると思うので、ご注意願いたいのです。

 

---owari---

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「陛下」とは何を意味する呼... | トップ | 愛と情熱 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

政治・経済」カテゴリの最新記事