日本人の「お手々つないでみな帰ろ」が、韓国人にはなぜできないのか。
(「日本ではカラスまで一緒にさそって」)
韓国ウォッチャーとして著名な産経新聞ソウル支局長・黒田勝弘氏が、ソウルで韓国人の年配の知り合いと会った時に、日本の童謡の「夕焼け小焼け」が話題になった。
__________
夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる
お手々つないで みな帰ろ カラスも一緒に帰りましょ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
その知り合いはしみじみとこう言った。
__________
日本ではカラスまで一緒にさそって、みんな手をつないで仲良くしようというんですよねぇ・・・。それに比べると韓国人は、この「お手々つないでみな帰ろ」ができないんです----。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
別の韓国人は、しばらく日本に駐在してから韓国に帰ってきた。子供たちも日本の学校に通っていて、韓国の学校に戻ったのだが、何かにつけて遅れをとって困ると言う。
ボール遊びとか、教室に先を争って入るとか、何かを受け取ったりするときなど、「先を争ってわれ勝ち」という場面で、自分の子供は弱い。その原因はどうも日本での教育のせいではないか、と言う。日本の幼稚園や小学校では「みんな仲良く」「みんな一緒に」と、絶えず協調を教えるために、それになじんでしまった子どもが、韓国の学校では遅れをとってしまう、というのである。
日本人と韓国人は隣人どうしで、外見もそっくりのため、お互いに自分と似ていると考え勝ちだが、実は似ていない点も多い。そして、そこにそれぞれのお国ぶりが現れるのである。
(恒心を持ちえない状況の中に生きている民族)
「みんな仲良く」の日本人と「俺が俺が」の韓国人の違いがどこから来ているのか、韓国の著名な作家である李炳注(イ・ビョンジュ)氏は次のように語っている。
__________
・・・日本人にある、いやおう盛ですらある協同のマナーもしくは精神がどうしてわれわれにはないかということは、実に不可思議なことですけれども、この不可思議な問題を可能なところまで追求してみるのも重要だと思いますね。・・・
私は漠然とですが、恒心という問題を提起してみたいと思います。結論からいえば、わが民族は恒心(常に変わらない正しい心)を持たない民族、恒心を持ちえない状況の中に生きている民族だと私は思います。・・・
韓国人と日本人を比較するとき、周囲の環境をつきつめてみなければなりません。安定した環境である程度の確立した社会に生きる人びとと、常に不安定で価値の乱れた社会に住む人びととを対等に比較することはできませんよ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
安全で平和な島国である日本では、お互いに力を合わせて仲良くやっていくことが、幸福への道であった。時折、台風や地震が襲ってくるが、それらも皆で力を合わせて乗り越えていく。そうした社会では、恒心、すなわち、安定した価値観と心持ちを持って、生きていくことができる。
それに対して、半島国家である韓国は、周囲の大国のパワーゲームの舞台とされやすい。朝鮮半島は古代から中国と日本のせめぎ合いの舞台であり、近代に入ってからは、ロシアやアメリカが加わり、さらに国土も南北に分断されて軍事的対立の中で生きてきた。
韓国国内も親中派、親日派、親露派、親米派などに分裂し、抗争が続いてきた。そのような不安定な社会では「みんな仲良く」などというのは絵空事である。「俺が俺が」と他人を押しのけ、生き延びていかねばならない。
(自転車に乗るのは体面にかかわる)
「俺が俺が」の社会は、勝者と敗者が明確な格差社会となり、勝者はことさらに自らの体面を重んずるようになる。
企業や役所の幹部など、社会的成功者は運転手付きの公用車、社用車に乗る。一般大衆がすし詰めになったバスの横を、黒塗りの大型車がスイスイと走っていく。
会社や役所で車付きの幹部を務めた人が、退職後にもっとも愚痴をこぼすのが、運転手付きの車がなくなったことで、満員のバスに乗ったり、タクシーを拾ったりする「みじめさ」に耐えられず、つい外出もおっくうになるほどだと言う。
黒塗りの大型車の対極をなすのが、自転車だ。みすぼらしい格好の労働者が大きな荷物を乗せて、汗をかきながら自転車を漕いでいる、というのが、伝統的な「下層労働階級」のイメージである。
黒田氏の知人の日本人が、知り合いの韓国人の牧師の家に遊びに行った時のこと。この牧師は日本の教会との交流で、何年か日本生活の経験があったという。その牧師の奥さんがこう言ったそうだ。
__________
うちの人は日本にいる時やっていたといって、自転車で外出しようとするので困ります。あんなはしたないことされると体面上困ります。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
立派な聖職者は「自転車なんかに乗って出歩いてはいけない」というのが、この奥さんの「体面」へのこだわりである。
もちろん、日本でも同様な感覚を持つ人も多いだろうが、一方で、「地位のある人でも慎ましい生活をしているのが本当に偉い人だ」という価値観も根強い。かつて経団連会長を務めた土光敏夫さんがバスで通勤している姿が静かな感動を呼んだ。
(「サジャンニーム!(社長さーん)」)
体面の最たるものが、肩書きである。韓国社会では日常会話でも、相手を肩書き付きで呼ぶことが多い。
__________
新聞社では記者同士で「○○記者(キジャ)」と言い合っていますし、大学では教授たちがお互いに「○○博士(パクサ)」と呼び合っています。
街の通りや、食堂、飲み屋などでも連れだった客同士が「キム部長(ブジャン)」「パク課長(クワジュン)」・・・と肩書き呼称が飛びかっていますし、さして大きなバー、クラブでなくとも飲み屋の男子従業員をホステスたちが「○○専務(チョンム)」「○○常務(サンム)」といい、大通りで「サジャンニーム!(社長さーんの意)と声をあげれば、みんな「オレのことか?」という顔で振り向くほどに、韓国には社長がたくさんいるということになります。
韓国人の独立心が強いのも、結局、誰かの下でいつまでも働いていたのでは「カムトゥ(官職、地位)」が得られないため、独立すれば手っ取り早く肩書きができるから、ということかもしれません。独立し、一人で商売を始めると、みんな社長になれるというわけです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
逆に、相手の体面に相応した呼称をもちいないと、韓国人は激しく怒り出す。日本の各マスコミのソウル支局では、日本語のできる韓国人スタッフをおいて取材の協力などをして貰っている。各社の特派員たちは彼らを「助手」と呼ぶが、この肩書きは本人たちには大変評判が悪い。
ある時、新しく赴任してきた若い日本人特派員が、本人のいる前で「助手の○○さんは・・・」とやったところ、本人がつかみかからんばかりに怒った。本人にしてみれば、何代にもわたって特派員を手助けしてきており、新参者の特派員などよりも先輩だという自負があった。
日本では「助手」という言葉に侮蔑感は含まれていないから、この新米特派員もそう呼んだのだろう。長年「助手」として務めてきた人には、周囲の人も敬意を払う場合が多いからだ。
夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる
お手々つないで みな帰ろ カラスも一緒に帰りましょ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
その知り合いはしみじみとこう言った。
__________
日本ではカラスまで一緒にさそって、みんな手をつないで仲良くしようというんですよねぇ・・・。それに比べると韓国人は、この「お手々つないでみな帰ろ」ができないんです----。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
別の韓国人は、しばらく日本に駐在してから韓国に帰ってきた。子供たちも日本の学校に通っていて、韓国の学校に戻ったのだが、何かにつけて遅れをとって困ると言う。
ボール遊びとか、教室に先を争って入るとか、何かを受け取ったりするときなど、「先を争ってわれ勝ち」という場面で、自分の子供は弱い。その原因はどうも日本での教育のせいではないか、と言う。日本の幼稚園や小学校では「みんな仲良く」「みんな一緒に」と、絶えず協調を教えるために、それになじんでしまった子どもが、韓国の学校では遅れをとってしまう、というのである。
日本人と韓国人は隣人どうしで、外見もそっくりのため、お互いに自分と似ていると考え勝ちだが、実は似ていない点も多い。そして、そこにそれぞれのお国ぶりが現れるのである。
(恒心を持ちえない状況の中に生きている民族)
「みんな仲良く」の日本人と「俺が俺が」の韓国人の違いがどこから来ているのか、韓国の著名な作家である李炳注(イ・ビョンジュ)氏は次のように語っている。
__________
・・・日本人にある、いやおう盛ですらある協同のマナーもしくは精神がどうしてわれわれにはないかということは、実に不可思議なことですけれども、この不可思議な問題を可能なところまで追求してみるのも重要だと思いますね。・・・
私は漠然とですが、恒心という問題を提起してみたいと思います。結論からいえば、わが民族は恒心(常に変わらない正しい心)を持たない民族、恒心を持ちえない状況の中に生きている民族だと私は思います。・・・
韓国人と日本人を比較するとき、周囲の環境をつきつめてみなければなりません。安定した環境である程度の確立した社会に生きる人びとと、常に不安定で価値の乱れた社会に住む人びととを対等に比較することはできませんよ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
安全で平和な島国である日本では、お互いに力を合わせて仲良くやっていくことが、幸福への道であった。時折、台風や地震が襲ってくるが、それらも皆で力を合わせて乗り越えていく。そうした社会では、恒心、すなわち、安定した価値観と心持ちを持って、生きていくことができる。
それに対して、半島国家である韓国は、周囲の大国のパワーゲームの舞台とされやすい。朝鮮半島は古代から中国と日本のせめぎ合いの舞台であり、近代に入ってからは、ロシアやアメリカが加わり、さらに国土も南北に分断されて軍事的対立の中で生きてきた。
韓国国内も親中派、親日派、親露派、親米派などに分裂し、抗争が続いてきた。そのような不安定な社会では「みんな仲良く」などというのは絵空事である。「俺が俺が」と他人を押しのけ、生き延びていかねばならない。
(自転車に乗るのは体面にかかわる)
「俺が俺が」の社会は、勝者と敗者が明確な格差社会となり、勝者はことさらに自らの体面を重んずるようになる。
企業や役所の幹部など、社会的成功者は運転手付きの公用車、社用車に乗る。一般大衆がすし詰めになったバスの横を、黒塗りの大型車がスイスイと走っていく。
会社や役所で車付きの幹部を務めた人が、退職後にもっとも愚痴をこぼすのが、運転手付きの車がなくなったことで、満員のバスに乗ったり、タクシーを拾ったりする「みじめさ」に耐えられず、つい外出もおっくうになるほどだと言う。
黒塗りの大型車の対極をなすのが、自転車だ。みすぼらしい格好の労働者が大きな荷物を乗せて、汗をかきながら自転車を漕いでいる、というのが、伝統的な「下層労働階級」のイメージである。
黒田氏の知人の日本人が、知り合いの韓国人の牧師の家に遊びに行った時のこと。この牧師は日本の教会との交流で、何年か日本生活の経験があったという。その牧師の奥さんがこう言ったそうだ。
__________
うちの人は日本にいる時やっていたといって、自転車で外出しようとするので困ります。あんなはしたないことされると体面上困ります。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
立派な聖職者は「自転車なんかに乗って出歩いてはいけない」というのが、この奥さんの「体面」へのこだわりである。
もちろん、日本でも同様な感覚を持つ人も多いだろうが、一方で、「地位のある人でも慎ましい生活をしているのが本当に偉い人だ」という価値観も根強い。かつて経団連会長を務めた土光敏夫さんがバスで通勤している姿が静かな感動を呼んだ。
(「サジャンニーム!(社長さーん)」)
体面の最たるものが、肩書きである。韓国社会では日常会話でも、相手を肩書き付きで呼ぶことが多い。
__________
新聞社では記者同士で「○○記者(キジャ)」と言い合っていますし、大学では教授たちがお互いに「○○博士(パクサ)」と呼び合っています。
街の通りや、食堂、飲み屋などでも連れだった客同士が「キム部長(ブジャン)」「パク課長(クワジュン)」・・・と肩書き呼称が飛びかっていますし、さして大きなバー、クラブでなくとも飲み屋の男子従業員をホステスたちが「○○専務(チョンム)」「○○常務(サンム)」といい、大通りで「サジャンニーム!(社長さーんの意)と声をあげれば、みんな「オレのことか?」という顔で振り向くほどに、韓国には社長がたくさんいるということになります。
韓国人の独立心が強いのも、結局、誰かの下でいつまでも働いていたのでは「カムトゥ(官職、地位)」が得られないため、独立すれば手っ取り早く肩書きができるから、ということかもしれません。独立し、一人で商売を始めると、みんな社長になれるというわけです。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
逆に、相手の体面に相応した呼称をもちいないと、韓国人は激しく怒り出す。日本の各マスコミのソウル支局では、日本語のできる韓国人スタッフをおいて取材の協力などをして貰っている。各社の特派員たちは彼らを「助手」と呼ぶが、この肩書きは本人たちには大変評判が悪い。
ある時、新しく赴任してきた若い日本人特派員が、本人のいる前で「助手の○○さんは・・・」とやったところ、本人がつかみかからんばかりに怒った。本人にしてみれば、何代にもわたって特派員を手助けしてきており、新参者の特派員などよりも先輩だという自負があった。
日本では「助手」という言葉に侮蔑感は含まれていないから、この新米特派員もそう呼んだのだろう。長年「助手」として務めてきた人には、周囲の人も敬意を払う場合が多いからだ。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます