人間の寿命が予想外に延びました。
これは悪循環のところがあって、「医療が充実して寿命が延びると、その分、費用が必要になる。その費用を投入すると、また寿命が延びて、さらに医療費が要る」というようなかたちになっています。
そして、どこも、「病院が足りない、看護師が足りない」と言っていますが、病院の経営的な視点からのメスは、十分に入っていないのではないかと思われます。
要するに、いろいろなものが増える一方なのです。治療にしても薬にしても増えるばかりで、「減らす」ということが、病院には、なかなかできません。「もう薬は要りません」「放っておけば治ります」などとは、なかなか言えないのです。
まず、「症状がいかに悪いか」ということを認定し、「重病人は、ありがたいお客様である」と見るような感覚が、基本的にあるように思います。
しかし、人間には自然治癒力もありますし、寿命もあります。したがって、ある程度、自分の「治す力」を信じる心も大事ですし、やはり、「天命、寿命がある」ということも考えなくてはなりません。その上で、合理的な治療というものが要るのです。
「スパゲッティ症候群と言われる状態でもよいから、とにかく長生きさえすれば幸福である」というような考え方に、私は必ずしも賛成ではありません。
やはり、「人間は、基本的には、完全燃焼してこの世を終えるのが、正しい態度である」と思います。
私は、家族に看取られ「自然死」できるようでありたいと願っています。
医療費を無制限に増やしていくことには、どちらかといえば反対です。
病人の場合、「治る」と思う病気については治療もよいのですが、ある意味で、「もう治らない」と思うのであれば、宗教の勉強など、次の段階に移る準備に早めに入った方がよいこともあると思います。
「この世で寿命を引き延ばすことができさえすれば善である」という考えは間違いです。「この世で生きることが、人生修行において、価値あることである」ということが大事なのです。
これは弱者を抹殺するという考えではありません。「唯物論的に、この世に執着することが、正しいことだ」という考え方なら、それは間違いだと申し上げているのです。
唯物論医療のほうに偏りすぎているのであれば、もう一つ、霊界の仕組みも知った上で、「人生の最後を、どのように迎えるか」ということを考えてみたほうがよいのです。そして、入院の必要がないのであれば、自宅にて最後を迎える人がもっと増えたほうがよいと私は思います。
今は、病院のベッドの上で亡くなる人が多いのですが、必ずしもその必要はないし、以前は、そうでもなかったのです。
もう治らないことが分かっていて、死期が迫っていたら、例えば、「ガンで、あと三ヶ月の命」というようなことが分かっていたら、それほど病院で治療をしてもらわずに、家族と共に楽しく過ごせばよいのではないかと思うのです。無駄な医療費を使う必要はないでしょう。
「家族と共に過ごし、人生の最後を迎える」という“カルチャー”も、一つ入れたほうがよいと思います。
無駄なことのために、システムをつくったり、予算を使いすぎたりすることには問題があるように思います。
少し厳しい言い方に聞こえるかもしれませんが、宗教のほうも勉強していただければ、私が言っていることの意味は分かるはずです。
「あの世に移行する」ということは、「新しく入学する」ということであり、それほど不幸なことではないのです。あの世へ還るための準備をして、幸福に旅立つことが大事です。「苦しみを長引かせて、あの世への移行を困難にする」ということは、必ずしも善ではないのです。
昔は「自然死」という言葉があったのですが、今はもう、自然死は、ほぼゼロに近いでしょう。何らかの病名で死ぬのでしょうが、やはり、「家族に看取られて自然死する」というようなスタイルを、できるだけつくっていくべきではないでしょうか。
--owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます