悲しみを知らない人は、自分自身のことを考える。
自分自身の悲しみを考える。
しかし、自分自身の悲しみをいかほど考えたとて、
それで世の中がよくなるということはないのだ。
世の中をよくしてゆくためには、
世の人びとの心に刺さったとげを抜け。
世の人びとの心に刺さった毒針を抜け。
そうした心を持たねばならない。
ゆめゆめ他の人びとを傷つける心を持ってはならない。
ゆめゆめ他の人びとを害する心を持ってはならない。
そのような心であってはならない。
自分一人のみよかれと思う自己保存の心は、
これまた愚かなる人の特徴である。
自分を生かさんとして、自分のみを生かさんとして、
営々と努力しているのであるが、
その方向が、仏の心から離れているのである。
自分のみを生かさんとすることが、
自分をも殺してしまうということが、わからないのだろうか。
自分のことのみを考えるために、
今世、生を享けたわけではないということが、わからないのであろうか。
自分が、今世、生を享けたということは、
その自分自身の生を、
自分自身のためにだけに使ってはならないということなのだ。
たぐい希なる慈悲を受け、今世、生を享けたということは、
その感謝で持って、
多くの人びとの心を潤してゆかねばならないということなのだ。
それを知らねばならない。
ゆえに、自らのみのことを考えすぎるな。
自ら自身の幸福ばかりを考えすぎるな。
自らを利せんとする心が、
決して他の人を害するものであってはならない。
私は、かつてあなたがたに教えたはずである。
自らを利しようとする心は、
自らのみを益し、他の者を害するという心であってはならない。
自らを利するという心は、
自らを利するということが、
他の人を利するということにつながる場合においてのみ、許されるのだ。
よく、自らを整え、自らの心を整え、自らの魂を磨き、
そして、素晴らしき世界に入ってゆくべきである。
自らを磨いたということが、他の人びとを善くし、世の中を善くし、
仏の創られた世界を素晴らしくすることをもって、
よしとせねばならない。
この考え方を決して取り違えてはならない。(仏法真理)
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます