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現代社会に蔓延する「鬱」(後編)

2023年06月17日 | 人生
(惨めな自己像は客観的に見て正しいのか)
鬱状態になって自分を責めさいなんでいる人は、傍目には、ある意味で、気の毒なようにも見えるし、「この人は、とても純粋な人なのだな」という感じにも見えます。

小説などの文学に描かれる状況は、だいたい、そのようなものです。小説は、そういう状態が出てこないと、全然、読み応えがないのです。「心理的な苦しさや辛さ、やるせなさなどで、胃がキリキリと痛む」というように苦しむ主人公や登場人物に対して共感する部分があり、「よかった、よかった」という読後感を持つ場合もあります。

ただ、当事者は、客観的に言って、それほど楽な状況ではありません。
自分自身をマイナスに見て責めさいなんでいる、その状態は、客観的に見て正しいのでしょうか。他の人の目で見て、日本人全体や人類の目で見て、あるいは仏神の目から見て、正しいのでしょうか。

鬱状態にあれば、「これだから、自分は駄目な人間なのだ」という理由は、十でも二十でも挙げられるでしょう。それを口に出して言えば、愚痴になります。

しかし、それを、「言っている内容は客観的に見て正しいのか」という観点で、そこまで踏み込んで考えた人は、それほどいないと思います。おそらく十人に一人もいないでしょうし、百人に一人もいないかもしれません。

鬱の状態で、「自分は駄目なのだ」と、いじけて、惨めな自己像、立ち上がれない自己像、うらぶれた自己像、ずぶ濡れの犬のような自己像を持っている人が、「その自己像は客観的に見て正しいのか」ということを考え、自分を突き放して、じっと見てみたときに、その自己像は必ずしも正しくないことが分かるでしょう。

実は、ないものねだりをしていたり、足りないところばかりを拡大して見ていたりしていて、与えられているもの、すでに持っているものについては、忘れていることが多いはずです。

自分では「客観的に見ている」と思っても、ほんとうは、自分の現在の立場でしか見ていないのです。

たとえば、ジェットコースターに乗っている人は、ジェットコースターが上がっていくときに見ている上向きの目と、下っていくときに見ている下向きの目という違いはあるものの、あくまでも、ジェットコースターに乗って恐怖の叫び声を上げている自分の目でしか自分を見ていません。それ以外の目では見ていないのです。

それに代わるものとして、第三者である他人が、ときどき、忠告やアドバイスをしてくれる場合もあります。「何を言っているのだ。あなたはそう言うけれども、こうではないか」ということを言ってくれる場合もあるのです。そういう、よい友に恵まれた人には、それなりに救いがあることもあります。

鬱状態に入った人は何もかもをマイナスに考えます。「この結婚が悪かった。だから、離婚しなければいけないのではないか」「この仕事が悪かった。だから、仕事を辞めて転職しなければいけないのではないか」「この家に移ったから、こうなっている。この家を売り払うなりして、ほかの所へ引っ越さなければいけないのではないか」など、いろいろなことを考えるわけです。

---owari---
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