このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

日本の底力は精神性の豊かさにある

2017年08月25日 | 日本

日本の底力の源流には、文化とか伝統とか歴史というものがある。

まず第一に、日本には芸術の力がある。第二に、精神の力がある。第三に、日本語の力がある。第四に、共同体社会の力がある。

 

日本は超高級芸術自動車をつくり上げるし、同時に衣料品も食料品もケータイも世界最高のものをつくり出す。――これはメーカーと日本のお客の両者でつくっている。

 

その背景には、飛鳥・奈良時代、室町時代にまでさかのぼる日本人の芸術性がある。それを表現する日本語があり、また先人がつくり上げた実物が身辺にある。それから、あくまで仕上げにこだわる精神や、自分が働くという気持ちが日本人全部に共有されている。我々には当然のことだから感じないが、それらを世界は感じているのです。

 

日本人はどうしてそんな超高級品をつくれるのか。

それはやはり縄文時代以来の芸術の伝統があって、一般社員であれ、エンジニアであれ、中小の下請けの人であれ、「デザイン・イン」ができるからである。

 

デザイン・インとは、平たく言えばみんなで集まって美しいデザインとその実現を考えようということだが、そういうとき足並みがそろって、こっちのほうがかわいい、こっちのほうが雅やかであると議論が盛り上がる。

 

イタリアへ行ってデザインを習った人であろうと、品川・川崎の町工場の親父であろうと、「もう少し雅やかにしようじゃないか」とか、「こうしたほうが、ゆかしさがある」という表現で通じる。そのようなセンスの共有がある。それが日本であり、そのことが日本の底力なのである。

 

こんなエピソードがある。往年の名車、日産スカイラインを桜井真一郎さんが開発したときの話です。開発のとき、桜井さんは最初に情景の説明文をつくったのです。

 

“場所は日光の戦場ヶ原。時刻は夕方。天気は雨と雷が迫っている。そこを一台の車が走る。乗っているのは三十歳のエンジニアで、行く先のホテルには彼女が待っている・・・・”と。

 

この情景を関係者一同が共有すると、不思議にそれらしいスカイラインができ上がるという話で、まずは「人情の世界」と「風流の世界」があって、それを絵や言葉にして、それから以上をハード化して「デザイン」や「スペック(仕様)」が決まり、さらに「ハイテク」が出動するというところが何とも言えず日本的である。

 

ハイテクとは馬力を上げるとか、静粛にするとか、振動を抑えるとか、サイズを縮めるとか、ハンドルのフィーリングをつくるとかいろいろだが、そうしたハイテクに出番を与えるのは風流や芸術のセンスであって、ハイテクがハイテクを産むとばかり考えるのは、エンジニアが書いた本を読んでそれに心酔した人が犯す誤りである。

 

ところで、この話にはまだ先がある。

新しいスカイラインの寸法や外観、概要がだいたい決まってから、後部のテール・ランプやウインカーやバンパーの配置についてのデザインを二十数社に提案させたとき、この情景を半数には教え、半数には教えなかった。

 

すると、画然たる差が生じた。教えなかった半数の会社の提案は何となくそぐわなくて、最終選考に残った数案には全然入らなかったという。「そぐわない」という日本語には、何か科学的な根拠がありそうで、ここまで情感を共有できるとは不思議な日本である。

 

だから、アメリカは量の国で、日本は質の国。アメリカは科学の国で、日本は芸術の国。アメリカは力の国で、日本は精神の国、と言うのだが、こんな対比はいくらでも作ることができる。そのように分けて見比べれば、立派なアメリカ人になるのは簡単だが、立派な日本人になるのは難しいと思われる.

 

我々は自分のことには気づきにくいが、世界の人々は日本の素晴らしさを認めているのです。ハイテクの国ということだけではなく、歴史があり、伝統を重んじ、優れた文化が息づいているということに感嘆しいているのです。この素晴らし文化を世界の人々と共有するということが、この21世紀のメインイベントだと私は思っているのです。

 

---owari---

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