「水に当たるものとしての時間、養分に当たるものとしての経済力、光に当たるものとしての愛、この三つのものが、人間を生かしていくために大事である」と述べました。
このなかで、時間は、経済力と相まって、人間が何かを成し遂げていくために不可欠の要素となっていると考えてよいでしょう。人間は、経済力によって、生活の基盤を築き、時間によって、自分なりに社会への還元をしていきます。経済力と時間によって、人間としての最低限の生き方ができるのです。
しかし、この最低限の生き方は、愛という要素が加わることによって、さらに拡大され、大きく大きく展開していきます。愛は一つの触媒作用であり、「経済力と時間に、愛が落とし卵のようにポンと割られて落ち込んだときに、大きな歯車が回りはじめる」というように、私は思えるのです。
もちろん、愛には、人から与えられるものと、みずから与えていくものとがあります。
人から与えられた愛は、どのような役割をするのかというと、自己の内部で新たなエネルギーをつくり出していく力になります。
自己の内部から新たなエネルギーが湧き起こってきたときに、その人は、それを仕事という方向にあてていくでしょう。そして、その仕事を成し遂げていくために、時間を消費するでしょう。また、金銭も消費するでしょう。その結果、それ以上の価値を持つものを、おそらく生んでいくでしょう。
自分にいま与えられている金銭や時間を使って、それ以上のものを生産していったときに、そこに何が生じるでしょうか。そこには、自分が活動を始める前よりも多くの社会的な富が形成されてくるのです。
この富には財貨も入っていますが、それ以外に、もちろん、精神的な富も入っています。「その人が立派な仕事をすることによって、それが、多くの人の心の糧となり、多くの人の心を潤すものとなる」、そういう精神的な富もあります。
すなわち、「時間という石炭を投げ込み、経済力という石油を投げ込み、燃やした結果、でき上がったものは、それ以上のものであった。その触媒になったものが、実は愛だった」ということです。
---owari---
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