川塵録

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民主主義と民本主義

2024年12月27日 | 政治
民主主義の本質について、ChatGPTと壁打ちしました。

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Q(長いです)

民主主義の本質は、王権主義とかと異なる、「知者と被治者の自同性」だと思います。

治める者と治められる者が同じ身分で同じ価値を持つということです。

そう考えると、多数決というのは単なる意思決定手段の一つであって、じゃんけんで決めようと、くじ引きできめようと、治者と被治者の同一性が保たれる限りは、それは民主主義の一形態と呼べると思うのですが、どう思いますか

ChatGPTの回答:

あなたの考えには興味深い視点が含まれています。

「知者と被治者の自同性」という点に焦点を当てることで、民主主義の本質をより人間的な平等や相互性の観点から捉えようとするアプローチが伺えます。

ここで述べられている「治める者と治められる者が同じ身分で同じ価値を持つ」という考え方は、確かに民主主義が目指すべき基本的な理念の一つであり、多くの民主主義理論家が強調してきた「平等性」や「市民としての共同体感覚」に関連しています。

民主主義の本質と平等性

あなたが指摘するように、民主主義の本質は「知者と被治者の自同性」にあります。

治者と被治者が同じ価値を持つという点は、民主主義の中核を成す考え方の一つです。

民主主義は、個々の市民が平等であることを前提にしています。つまり、政治的権利や意思決定において全ての市民が平等に関与することが求められます。

この観点から、民主主義は基本的に人民主権や市民の平等を尊重する政治体制です。

そのため、治める者と治められる者の身分や価値が同じということは、民主主義にとって極めて重要な前提です。

これは、伝統的な君主制や王権主義が治者(君主)と被治者(民衆)の間に明確な階層を設けるのとは対照的です。

民主主義においては、市民全員が等しく政治的な権利を持ち、治者も市民の中から選ばれた者にすぎない、という意味で「自同性」が成り立つと言えるでしょう。

多数決と民主主義の関係

次に、あなたが挙げた多数決について考えます。

確かに、多数決は民主主義における意思決定手段の一つに過ぎません。

多数決の仕組みは、社会における意思の集約を図るための実務的な手段であり、必ずしも民主主義そのものの本質ではありません。

例えば、くじ引きやじゃんけんで決めても、決定プロセスにおいて参加者が平等な立場に立っていれば、それもまた民主的な手法と考えられるという理屈が成り立ちます。

多数決は、あくまで「集団意思決定の方法」の一つです。

重要なのは、その意思決定の過程においてすべての市民が平等に関与できることです。

したがって、あなたが指摘するように、もしすべての市民が平等に意思決定に参加しており、そのプロセスにおいて治者と被治者の間に階層的な違いがないのであれば、くじ引きやじゃんけんのような決定方法でも民主主義と呼ぶことができるという立場も一理あります。

民主主義と意思決定の多様性

しかしながら、多数決が民主主義において広く使われる理由は、集団内で効率的に意思決定を行うための手段として適しているからです。

民主主義は、全ての市民の意見を反映しつつ、最終的な意思決定を行うための方法として多数決を採用することが一般的です。

しかし、これが「民主主義の本質」そのものであるかどうかは、議論の余地があります。

多数決が社会的少数派の意見を抑圧する可能性もあるため、単に「多数の意見が正しい」とすることが民主主義の本質ではない、という反論も存在します。

結論

あなたの考えは、民主主義の本質を「平等性」と「市民の自同性」に基づいて捉えるものです。

治者と被治者の同一性という視点は、民主主義の根本的な理念を理解する上で非常に有意義です。

多数決があくまで意思決定の手段であり、その手段において平等な参加と尊重が保障されている限り、そのプロセスは民主主義の範疇に入る、という考え方は納得できます。

したがって、くじ引きやじゃんけんであっても、もしその決定に参加する全員が平等な立場で関わっているのであれば、それは民主主義の一形態と言えるかもしれません。

ただし、実際には民主主義は単に「意思決定手段」以上のものですので、参加の平等性に加えて、市民の権利の保障や社会的少数派の保護など、より深い要素も重要です。

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この「知者と被治者の自同性」というのは、私は司法試験受験中に伊藤塾で教わったのだと思う。高校や大学では教わっていない。

この概念を教わらないと、どうしても、「民主主義って要するに多数決で決めることでしょ」とか「民の声を政治に反映するのが民主主義でしょ」っていう、誤った考えが広まりがち、、、

ヒトラー/ナチスの失敗を経て、人類がたどり着いた究極の政治形態が、間接民主主義。あえて民の声を直接には政治に反映させない。

選ばれた政治家(政治のことを考える能力と時間がある人たち)が、慎重に審議討論する。一時の熱情に影響されないように、憲法で定める価値を尊重して(これが立憲主義)、冷静に議論を重ねる。

それが「今の」民主主義。つまり立憲民主主義。

決して、「民が主」(政治家が従)ってことではない。「民主」っていう言葉は、日本の政治をポピュリズムに近づける、やばいワーディングだと思っている。

だから私は、20年前から、しっかり政治を語るときは、常に「民主政」って使ってきた。軽々に「民主主義」という用語を避けてきた。

ちなみに、民主主義の英訳とされるdemocracy の意味は、demo(民衆・人民)のcracy (支配・権力)。

「民主」「主義」とは、ややニュアンスが異なりますよね。

吉野作造が作った「民本主義」の方が、ポピュリズムに堕するのを避けるためにも、democracyの訳語としていいと思う。 
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