川塵録

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法廷に神が降りてきた 2 (加筆版)

2024年12月20日 | 法律・海外法務
先日投稿した、「法廷に神が降りてきた」が好評だったようなので、読者サービスで、ちょびっとばかり続編をば。

家庭連合の解散命令裁判。

原告文科省は200を超える陳述書を集め、家庭連合の解散へ向けて立証をせんとしている。

うち、数名の証人の尋問。

先日の報告 こちら のとおり、文科省側は、陳述書提出者が、自ら真摯に陳述書を作成したというよりは、文科省側(それをヘルプした某大手事務所弁護士?)の作成した陳述書を、ざっと見てサインした。

そんなことが分かる、ないしは高度に推認される尋問結果のようでした。

たとえば、客観的事実と異なる事実を問われても、それを頑として認めない。「忘れました」などと、小さい声で言い逃れる。

その「言い逃れる」態度は、だいぶ裁判官にも刺さったようでした。

____________

一方、家庭連合側証人は、堂々と、朗々と、俯仰天地に愧じず、といった様子で、尋問に応対。

相手方の国側証人(元信者)の境遇・態度に対しても、それを決して攻撃したり詰(なじ)ったりすることはない。

むしろ、そういう元信者を、
✓ 回心させることができなかった、
✓ 信仰の深い道にお連れすることができなかった、
✓ 神に会わせることができなかった、
✓ 神の下にお導きすることができなかった、
的に自責されている。

  • 神は全ての人類を子としているのです。
  • どんな人も神の子なんです。
  • 神はどんな人も見捨てないんです。
  • ですからどんな悪い人も神の子なんです。

  • その神の愛を、その元信者に分かってもらうことができなかった。
  • だから私の責任なんです。
  • 私たち家庭連合の責任なんです。
  • 今でも、私は、その◯◯さん(元信者)のために祈っています。

こんな応答が、東京地裁の法廷で、行われました。

なんと厳粛で、なんと神聖で、なんと崇高な、法廷であったことか。

そこに神が降りていた。

私はそう感じました。

____________

蛇足ですが、我々が信仰心を高め、宗教心を高め、精神性を磨き、崇高に、美しく、自責して生きることで、そこに神が降りてくる。

我々の立派な心の輝き、魂のほとばしり、愛の叫び、義の雄叫びに対して、神は満腔の愛を注がれる。

そういうことなのでしょう。
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1 コメント

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Unknown (polaris8)
2024-12-21 07:01:32
法廷の様子をありがとうございます!神様が顕現なさる法廷に涙が流れます…。私も自らの心を裂き、神様が顕現なさる生き方とは何か…を問いながら今日を生きたいです。
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